lycoris-radiata
【第三話 花の都と彼女と縁】 3.重なる記憶
ぼんやりとした視界に映るのは見慣れた天井。
なんかいろんな夢を見た気がする。
星空の下で歌っている男とそれを見つめていた『自分』。
会いたくて逢いたくてどうしようもない気持ちが沸いてくる。
ユスティーナ、元気かなぁ。
そのままぼーっとすること数秒。ソティルはいきなり起き上がって壁にかけてある鏡を覗き込み、そのままがっくりとひざをついた。
「も……戻ってなかった」
本日の天気も快晴。
今の気分にはあっていないが、これで天気まで悪かったらさらにへこむこと間違いなしなのでソティルは太陽神に感謝を述べる。
夕べの予定通り、彼はコスモスと一緒に広場に向かっていた。
ソティルの服装は特にいつもと変わり映えしないシャツとズボン。楽しそうにスカートを薦めてくる圭には、とりあえず朝食を少なめにすることで報復しておいた。
隣を歩くコスモスは昨日と違って動きやすそうなパンツスタイル。
手持ちの荷物は大きなショルダーバッグ。
二人だけなら女友達の散歩に見えるんだろうなと思いつつ、後ろをそっと伺う。
この時期に上から下まで黒一色のローブを着込んだ、明らかに一目で魔導士と分かる女性が無言のままについてくる。
エルシリア・クレメンティと名乗った魔導士は、先ほどからずっと険しい顔でこちらを――正確にはコスモスを見ていた。
一触即発とまではいかないものの、先ほどからずっと嫌な緊張感に包まれている。
「風が気持ち良いわね。思ったよりも暑くないし」
「あ……今年は冷夏だって、ニュースで言ってたけど」
「そう」
コスモスは平然と話しかけてくるが、ソティルはどうも落ち着かない。
元々人にじっと見られることには慣れていないし、何より居心地が悪い。
「ソティル、どこか調子悪いの?」
不意にかけられた声がとても心配そうで、ソティルは慌てて顔を上げる。
「う、ううん。そんなことないです」
「そう? なら良いのだけれど」
ほんの少し気遣わしげな色の瞳はとても優しい。
「少しでもおかしいところがあったらすぐに言うのよ?」
「あ、はい」
重ねて言われてソティルも頷く。
今の状況が十分に以上なのは分かっている。
様子がおかしかったら心配されて当然だ。
「ちょっとその、夢を見たなぁって思い出して」
「夢?」
「協会の人にも話したんですけど……
恋人同士が会話してる感じで、僕が女の人になってて」
「やはり、逢いたいと言っていた?」
コスモスの問いかけに、ソティルは静かに首を振る。
「多分仲良くなる前だと思う」
会話をするのもぎこちなくて互いに話しかけづらい、そんな風に思えたと告げるとコスモスは思案するように口元に手をやった。
「時間軸が前後してる、ということかしら?」
『事実とは限らないがな。
記憶や思い出は本人の都合にいいように代わっていくものだ』
アポロニウスの言葉は重みを持って耳に残る。
ソティルは知らないが、彼自身がそうだったから。自分で記憶を曲げてしまっていた。
罪を犯して、罰としてこの姿にされた――そう思い込んでいた。
事実はまったく違ったのだけれど。
「そういえば歌を歌ってたよ、『恋人』が」
「歌?」
「歌詞は覚えてないけど」
とても綺麗な曲だった。何とか覚えていたメロディをたどたどしく紡ぐ。
「ララー。……こんな感じ、だったと思う。でも、何の曲かなんて分からないよね」
苦笑するソティルを何故かコスモスはしばしじっと見つめて、おもむろに口を開いた。
ささやくような小さな声で歌われるのは、暖かくてどこか寂しいフレーズ。
思わず目を見張るソティルに彼女は苦笑した。
「この歌?」
「そう、だと思うけど。コスモスさん何で知ってるの?」
「なんでっていうか、ねぇ」
当然のはずの質問に、コスモスは苦い口調で視線をそらしため息をつく。
「どうしてどこまで行っても付きまとうかな?」
『諦めろ。魔導士と言えばスノーベル、なんだろう?』
「……全体の一割くらいのはずなんだけどね」
ぼそぼそ小声で言い合って、二人同時にため息をつく。
物言いたげなソティルの視線に気づいてか、ようやくぽつぽつと話をしてくれた。
「知ってると言うか……うちの子守唄みたいなものというか」
『それも年期入って伝わってる、な』
「え、じゃあもしかしてスノーベルの人?」
そうだとしたら、該当者を探すのは楽なんじゃないかと希望を持つソティルに対し、本家にあたる女性は眉をしかめる。
「うちの関係者って線では否定出来ないけど。そうとも言い切れないわよね?」
『定番のレパートリーだしな。どこで誰が覚えていても不思議ない』
「そっかー」
二人は納得しているようだが、ソティルと後ろで耳をそばだてているクレメンティには分からない。が、コスモスたちはそのまま小声での相談モードに入ってしまった。
「あちこち放浪されてたのよね?」
『定住したくとも出来ない人だからな。歌で食べてたことも多いし』
「知ってる人は多いってことか」
『行った事のない国がないような人だしな』
どうやら今度は邪魔できそうにないことを察して、ソティルは仕方なく前を向いて目的地へと足を進めた。
たどり着いた広場を見て、コスモスはため息混じりに言った。
「何も無いわね。見事に整備されちゃってる」
彼女の言葉どおり、ここはベンチと屋台があるだけの普通の広場だ。
他の広場との違いと言えば、大きさと中心にある石碑くらいだろう。
ソティルはこの広場のことを知っていたし、よく来ていたが、屋台目当てなので歴史には疎い。
「新しい広場だから綺麗でしょ。
レンガをそろえるのが大変で、あちこちから寄付もらって何とかできたんだって。
中央の石碑には寄付してくれた人たちの名前が刻んであるんだ。
それから、あの屋台のランプレドット美味しいんだよ」
こんな状況であることを忘れたわけではないが、ここ一、二年で培われてしまった観光案内のクセが抜けない。
「ふぅん、いいわねー」
コスモスもまた仕事を忘れたわけではないが、「美味しいもの」の話は興味深い。
知らずほころんだ顔にクレメンティの視線が刺さる。
「コスモス嬢、仕事中ですよ」
「もちろん分かっています」
少しおどけるように言って、コスモスは広場の中心へと進む。
今のところ妙な魔力を感じるとかそういった感覚はない。
何か分かるとしたら石碑くらいしかないだろう。
お昼にはまだ少し早いせいか、広場全体は閑散としていて屋台にも客の姿はない。
人目がないのは好都合。さっさと終わらせてしまおう。
灰色の石碑はシンプルな長方形で、上の面には黒い石のプレートがはめ込まれていた。
「トリフォッリオ門跡地か」
プレートの表面に書かれていた文字を指でなぞり、小さく呟く。
『仕掛けは?』
「なさそう。いくらあたしだって触れば分かるし。
それに今までにも調べられてるだろうし」
石碑の周囲をぐるりと回って、文字の羅列がある箇所を探す。
寄付をした人間の中に魔導士でもいれば話を聞きに行きやすい。
「アルフォンソ・ギンザーニ。シャルロ・ドゥ・ラ・パトリエール……
アルテ以外の国からも寄付があったのね」
まじめな顔で石碑を見ているコスモスはなんだか近寄りづらい。
邪魔をしても悪いだろうとソティルは手近なベンチに腰掛けた。
ケイも課題とかやってるときは真剣だから近寄れないな。
まぶしい日差しに目を細めつつ彼女を見ていると、急に視界が翳った。
振り仰げば、強い日差しをさえぎるようにしてクレメンティが佇んでいる。
暑そうだなぁ。
自分のことを思ってそこに立っていてくれるのだろうが、全身を覆う黒ローブは見てて暑苦しい。
『コスモス。本格的に調べるなら、人避けした方がいいんじゃないか』
「あ、そうね」
人避け?
気になる単語に視線を戻せば、コスモスが立ち上がるところだった。
何をするんだろうと興味深く見つめていると、彼女は固まった手首をほぐすように軽く振った。緑の光がはじけたように感じたのは、ビーズ細工のブレスレットが太陽の光を反射したせいだろうか。
軽く屈伸してまた座り込むコスモスと逆に、一連の様子を見ていたクレメンティが息を呑む。
「あれが……『スノーベル』」
「クレメンティさん?」
乾いた声で呟く彼女を不思議に思って問いかければ、こちらを見ぬままに応えが返る。
「魔導士の代名詞『スノーベル』。
始祖スノーベルは確かに優れた魔導士だったのでしょう。
それに、名だたる魔導士を輩出してきたのだから魔導の名家と呼ばれてるのも当然」
ソティルの存在を忘れているかのように語りだすクレメンティ。
あまり魔法の世界に縁のないソティルからしてみれば、そうなんだすごいなぁといった程度なのだが。クレメンティはしかし尊敬でも羨望でもなく、恐れの色濃い眼差しを向けている。
「分家と本家でここまで違うなんて……やはり『スノーベル』は特別だということ?」
自問するような言葉は、ソティルには関係ないこと。
どう特別かなんて、ソティルには分からないこと。
だというのに、知らない/知ってる声が胸に甦る。
『スノーベル』は特別なんだ、と。
「そんなこと、ありません」
蚊の鳴くような反論は、はたしてソティルのものだろうか。
「アンジェリス君?」
彼の存在にようやく気づいたのか、クレメンティが声をかけてくる。
が、ソティルの耳には届かない。
心のうちから響く声が、ソティルではない誰かを呼び覚ます。
その人は訴える『わたし』の声に耳を貸さず、窘めるように言い聞かせていた。
そもそも、魔法は本来この世にはない力。
『本来ない力』を扱う者が、人間と呼べるか?
「『そんなことはありません!
あの人もわたしも、人であることに変わりはありません!』」
「どうしたの?!」
突然怒鳴り始めた彼の肩を掴んで揺さぶるクレメンティ。
ソティルはいやいやをするように身をねじって訴える。
「『あの人は優しい方です。真面目で、どうしようもなく不器用な方です。
どうしてそんなひどいことをおっしゃるのですか!』」
エコーがかかったような声に、ようやく事態を把握した彼女が行動をとるより早く、淡い光の風がソティルを包んだ。
眠りの術。
その正体に気づく前に彼のまぶたがゆっくりと落ちて、傾ぐ体を慌てて支える。
「大丈夫でした?」
軽い足音を立てて術士が近づいてくる。頷くことで応じたクレメンティの横にしゃがんで、『魔女』は心配そうにソティルを覗き込んだ。
「良かった効いてくれて」
『平静は使えないのか?』
「貴方の時代には普通のものでも、今は失われているものは多いのよ、アポロニウス」
すでに馴染んだ軽口を交わしてコスモスは立ち上がる。
調べることはたくさんあって、問題もどんどん出てきている。
それでも一つ一つの対処を怠ると、どんな惨事が待ち構えているか分からない。
疲れを振り払うように、護衛としてつけられた女性へ微笑みかけた。
「ミズ・クレメンティ。わたくし、何か冷たいものを買ってきますわ。
ソティルを診ていてくださる?」
「あ、はい」
コスモスの後姿を見送って、つめていた息を吐く。
人払いの結界といい、先ほどの眠りの術といい、なんてスピードで完成度の高い術を使うのだろう。
魔封石を媒介にする魔導法は、発動までのタイム・ラグや応用の難しさもあって敬遠する魔導士も多いというのに。彼女は何の苦もなく操ってみせた。
支えていたソティルの体をベンチに横たえさせ、守るようにそばに立つ。
同じ魔導士として尊敬や羨望がないわけではない。
だが――やはり、『スノーベル』はヒトと同じように考えてはいけない。
てくてくと石畳の上を歩きつつ、コスモスは視線を彷徨わせる。
「コンビニ……は見当たらないわね。水じゃなくてジェラートでもいいかな?」
目を覚ました後はきっとのどが渇くだろう。
甘くて冷たいジェラートは子どもが好きそうだし。
『思い出すか?』
ほんの少し郷愁を帯びた問いかけに笑って返す。
「ソティルのほうが素直で可愛いわね」
実家にいる弟はソティルより少し年下だが、立場のせいかずいぶん大人びた面を持っている。反抗期に入りかけているのか最近やたらと生意気だった。魔導士としての才能がコスモスに比べて高いせいで余計そう思えるのかもしれないけれど。
『そうか?』
「そーよ」
まったく信じてない様子で聞き返すアポロニウスに軽く返答して、さてどの店で買うかを思案する。
『私は、少し思い出してしまった』
郷愁を帯びた声に目を見張る。彼が昔のことを語るなんて珍しい。
「似てたの?」
『似てると言えば似てたかな。別れたのがあれくらいだったから』
「そっか」
誰に似てたか、どこが似ていたかは聞かない。
懐かしそうに語るアポロニウスのうちには踏み込まない。
時の流れに置き去りにされたアポロニウスと家族の思い出を共有できるのは、同じく時の流れが違う彼の師匠だけだ。
聞けば答えてくれるかもしれない。でも聞かない。
コスモスにもある。聞かれたから答えるけれどすすんで話したくないことは。
だから、話してくれるまでは決してこちらからは聞かない。
「逢わせてあげたいわね」
ポツリと漏れた言葉は本心。
幽霊になってしまっても逢いたいという思いが残っているのなら尚更。
レベッカもそう思ったからこそこれだけの資料を集めたのだろう。何年も、地道に。
『なら、やることは多いな』
「そうね」
『連絡は取れたか?』
数多い看板から目についたジェラートショップに向かって歩き出しつつ、コスモスは携帯を取り出す。
「着信なし。なんだかんだいっておじーちゃん忙しい人だし。
でも広場の建設に寄付出してるってことは、やっぱりおじーちゃんも関係者?」
『あの幽霊が「星の軌跡」を知っているんだ。
本人か、逢いたい相手がスノーベルの血族の可能性が高いな』
「とことん魔法関連の事件って、うちの血族関わりすぎよね」
アポロニウスの言葉を継ぎ、はぁとため息をついてコスモスは頭を切り替える。
ジェラートショップは目の前だから、見えない相手との会話は慎むべきだし、フレーバー選びもしたい。
この瞬間だけは普通の観光客に戻ったコスモスを、少し離れた場所から見つめる人影があった。
シャツとジーンズといったラフな服装だが、とても人目を引く少女。
目を大きく見開いて口をぽかんと開けている様は幼子のように稚い。
「我が主?」
『だから言ったろう? メア・ドミナがいるよ、と』
信じられないといった様子の言葉に、笑いをこらえたようなバリトンが返す。
『スノーベルは導の星。
さしずめ、迷い子を導くために地上に降りられた、といったところかな?』
揶揄を耳に入れず、少女はただコスモスの背を見つめる。
もしかしたら迷惑をかけてしまうかもしれない、そう思わなくはなかった。
だけどこれで確定してしまった。
自分がすることに、彼女はきっと関わってくる。
気づかれていないことは分かっていたが、少女は深く頭をたれた。
ごめんなさい。ご迷惑をかけてしまいます。
それでも――貴女がここにいてくださることが心強い。
『うん?』
「何よ」
決意を固めていたのに水を差されて不満げな少女に、声は面白そうに話しかける。
『右を見て御覧』
素直に言うことを聞くのも癪だが、聞かないとそれはそれで面倒なので視線を向けた。
そこは駅へと通じる大通り。
人の流れは絶えずあり、にぎわっている様子が見て取れる。
その中に一人、違和感を感じた。
よくよく観察してみれば何のことはない、服装がおかしかったのだ。
初夏といえるこの時期に全身黒尽くめ、おまけにローブを羽織った青年が歩いていた。
周囲から奇妙なものを見る視線を受け、わずかに空間を空けられて。
これでは目立って当然だ。
「協会の人間?」
『ああ。どうやら戻るらしいね。今がチャンスだよ?』
人をそそのかす悪魔と言うのはこういうものだろうなと思いながら、少女は考える。
確かにチャンスといえるだろう。
協会にはアレがあるから、今日明日のうちには行かなければいけない。
だがしかし、生来生真面目な少女は、それをすることが躊躇われた。
「チャンスかもしれないけど」
口を濁す少女に対し、声は呆れたように言う。
『ほんとにキミは頭が固いねぇ。ちょっと代わってごらんよ』
「え、ちょ」
反論する間はなかった。
瞳が焦点を失い、ぐらりと少女の体が傾ぐ。
が、それも一瞬のこと。ふるふると頭を振って満足したように笑みを浮かべた。
「さて終幕をはじめようか」
まるで演劇のような宣誓は、朗々としたバリトンでなされた。