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ナビガトリア

lycoris-radiata
【第三話 花の都と彼女と縁】 1.消えた人、増えた人

 あいまいなうちに食事を終了させ、タクシーに乗ってレベッカを送る。
 他の魔導士と同じく美術館で引き続き調査を行うとのことで、責任者は大変だとぼやいていた。
「楽しかったわ。またお食事しましょうね」
 そういって笑ってタクシーを降り、背を向けた彼女だったが、何か忘れ物でもあったのか振り向いて戻ってきた。
「大叔母様?」
「忘れるところだったわ。コスモス、ビオラ見なかった?」
 突然の問いかけにコスモスは首を傾げる。
「会っておりませんけど」
 昨日レベッカは空港にビオラを迎えに来たといっていた。
 だからもうとっくに戻っていると思っていたのだが。
「まだ戻っていませんの?」
「それがね、行方不明みたいなのよ」
「まあ」
「三日前にパラミシアのヒュプヌンリュコス支部で、ストラーデ支部への移動手続きをしたにも拘らず、まだこっちに来てないのよねぇ」
 のんびりとした口調に騙されそうになるが、それは十分大事だと思う。
「向こうの出国は確認できたし、乗客名簿にも載ってたし、入国手続きもされたし……不思議ねぇ」
「不思議で済ませて良いのですか?」
「だって原因は多分本人にあると思うの。だから痛い目に会えば良いと思って」
 流石に黙っていられずに口を挟めばあっけらかんとした返事。
 おまけに、はにかみながら嬉しそうに言う台詞と違う。
「まあそういうわけだから、見つけたら連行してね」
「善処します」
「お願いねー」
 手を振りつつ、今度こそ美術館の扉の向こうに消えたレベッカ。
 彼女を見送ってからタクシーが出発し、数分で宿に着いた。
 なんだかすごく疲れた。
 休めるものならすぐにでも休みたいが、渡されたレポートがずっしりと重い。
 今日中に目を通さなければいけないと悟っているから辛い。
 薄が門の鍵を開けていると、玄関が開いて圭がひょいと顔を出した。
「遅いぞー、もっと早く帰ってくるんじゃなかったのか?」
「食事に連れてかれてねー」
 ごめんごめんと謝りながらもコスモスは悪びれない。
 待っていて当然だろうといった視線を投げかけてくるのは薄。
 その視線にカチンと来た圭だが、悲しいかな付き合いが短くない分諦めが先に来る。
「大まかなとこは昼に薄に聞いたけどさ。一体どうなってんだ?」
「とりあえず……薄の部屋でするってことで」
 玄関では騒がない方がいいというのは共通認識だ。
 改めて薄を先頭に二階に上がる。
 室内はコスモスのところと大差なく、一つだけある椅子はもちろん彼女に薦められた。
 それからベッドに彼女に向かい合わせる形でソティルと圭が座り、薄は自分のスーツケースに腰掛けた。
「ソティルは大丈夫?」
「うん、なんとか」
 そういってほのかに笑うソティルは、薄暗い明かりの中でそれはそれは可憐に見えて。
「理想の美少女って感じだよな、見た目だけは」
「ケイーッ」
「悪い悪い」
 不満たらたらなソティルの反応にからからと軽い謝罪をして、圭はコスモスに向き直り真面目な顔で問いかけてきた。
「で、どうなってるんだ?」
「それが分かれば苦労しないわよ。
 ただ大叔母さんの資料によると、今までも何度かあったみたい。
 一日経てば元に戻ったって事例も多いみたいだけど、どうなるかはわからないわねぇ」
「そういう不安になること言わないでくださいよっ」
「ですが公女、ずいぶん詳しくご存知ですね」
「詳しく書かれてるんだもの」
 片頬を膨らませて応じるコスモス。
 膝の上に例のレポートを載せてぺしぺし叩く。
「さらっと読んだだけだけど、これだけ調べ上げてるなら何もあたしじゃなくったって良いじゃないってくらいに詳しくと書かれてるのよこれが」
『厄介ごとは避けたかっただけだろう』
「本気で公女に押し付けるつもりなんですねぇ」
「コスモスってこういうときに貧乏くじ引くよなー」
「あーもう、働けばいいんでしょう働けば」
『がんばれ』
 三者に言われてやけくそで決意表明する彼女。
 しかし、いくら嫌でもやらなきゃいけないなら気持ちの切り替えは必要。
 さてソティルに質問をと視線をやったコスモスの眉が寄る。
 ソティルは何故かびくびくとおびえて辺りをうかがっていた。
「どうかした?」
 急な質問に驚いたのか、大きく肩を跳ねさせる彼。
 ちなみに現在見た目が絶世の美少女のため、たまたまその様子を見てしまった圭が壁に頭を打ち付けてしまうくらい可愛らしい。
「え、あ、その、コスモスさん、言葉遣い違うなって」
「まーいいとこのお嬢だしな」
「それはなんとなくわかったけど」
 例えば薄やレベッカの態度から。
 もしかして『公女』というのは渾名ではないのだろうか?
「世の中、猫かぶってる方が得な場面多いのよ」
 しみじみとした口調ながらも、コスモスはずっとソティルを見つめている。
 何もかも見透かすような紫紺色の瞳。
 言い逃れやごまかしがきかないと察したのだろう。
 しぶしぶといった様子で彼は口を開いた。
「なんかさっきから……声が一つ多いような気がするんだけど?」
 発言に固まったのは圭一人。コスモスは視線を外さず、さらに問いかける。
「声って、どんな?」
「どんなって、男の声だよ。結構若い感じの、ススキさんとは違う声。
 さっきコスモスさんに頑張れって言ってたよ」
 自信なさそうに告げる彼だが、コスモスは自身の従者に視線を向ける。
 主の無言の問いかけを受けて、薄は重く重く頷いた。ソティルは嘘を言っていない。
「えーっとそれってつまり?」
『私のこと、か?』
「ほらまた聞こえたッ」
 パニック寸前のソティルと固まったまま動かない圭を見比べて、ため息をつくコスモス。
「間違いないみたいね。大丈夫……多分幽霊と違うから」
「ほんとう?」
 幼子のように問いかけてくるソティル。圭は先ほどからまったく動かない。
「幽霊というか、死に損ないというか、生き損ない?
 生き汚いことに違いはないが」
『それは死んでるんじゃないか?
 言っておくが私は死んでないぞ、変なことにされてるだけで』
「遊ばない」
 薄とアポロニウスの会話を強制的に打ち切って、コスモスは改めてソティルに向き直る。
「ソティルは彼の声が聞こえるのね? いつから?」
「今日。こうなってから、だと思う」
 倒れた後のぼんやりした頭だったから夢かと思っていたのだ。
 聞きなれない声が一つ増えていることが。しかし、どうやら間違いなく現実らしい。
 すると、どこかしみじみとした顔で薄が呟いた。
「ああ……ソティルが幽霊に憑かれてからか」
「え」
「あ、薄も分かってたんだ?」
「ええッ」
 突拍子も無い事を言われて混乱するソティルにかまわず、主従は話を続ける。
「公女もお気づきでしたか。
 どうもソティルから別の『声』が聞こえるんですよ。小さすぎで聞き取れないんですけど」
「あたしも。ソティルの姿にかぶって別の……金髪の女の人の姿が、ぼんやりとしか見えないのよ」
『お前が、か?』
「あたしが、よ」
 コスモスの目は真実を映す。
 先ほど圭がソティルを指して『理想の美少女』と言っていたが、彼女には残念ながらそんな少女は見えていない。普段どおりのソティルにうっすらとした少女の影がかぶさって見えるくらいだ。
「それも妙な話ですね。
 公女の眼差しをもってして、ぼんやりとしか見えないというのなら弱い霊のはず。
 だというのにソティルにとり憑いて姿まで変える力があるなんて」
『吸魔石に溜められた魔力と、館内に漂っていた魔力を使ったんだろう』
「推論ばかりしてても仕方ないでしょ。
 また明日調べるとして、ほらソティルも圭もしゃんとする!
 まだ話はあるんだから」
 明後日の方に意識がいったのは誰のせいだとの文句を飲み込んで、とりあえず圭は口を開いた。
「話って他に何があるんだ?」
「あの街門について何か知ってることない?
 ソティルの話じゃ女性の幽霊が出るって言ってたけど、その詳しい内容とか」
 噂はあくまで噂だ。
 だが、中には真実を内包しているものもある。
 情報は集めておくに越したことはない。
 問いかけに、はいと小さく挙手したのはソティル。
「元はトリフォッリオ広場に建ってて、トリフォッリオ門(ポルタ・トリフォッリオ)って呼ばれてたって、昔ばあちゃんに聞いたことがある」
「あー、俺、今日そこで、門を見たいって言う子に会ったぞ」
 思い出したように発言する圭に視線が集まる。
「その子の名前は? なんで門を探してたの?」
「そんなの初対面で聞けるか」
 本来ならまっとうなはずの圭の意見だが、やれやれといった様子で口を挟んだのはソティルだった。
「ナンパしたなら名前聞いて、デートを取り付けようよ」
「ナンパ違う!
 困ってる風だったから美術館に復元されてること教えて、予約してあげただけだ」
 があと言い返す圭を見て考える。
 もし、その子が男だったならこんな返事は返ってこないだろう。ということはつまり。
「金髪碧眼美少女に一票」
「どうしてそうピンポイントなんだ薄っ」
「己の胸に聞けば分かることかと?」
 図星をつかれて慌てる圭に、涼しい顔でいけしゃあしゃあと返す薄。
 そこをさらにソティルがまぜっかえして怒鳴られる。
 楽しげな男性陣を他所に、コスモスは厳しい顔のまま考え込む。
「タイミング良すぎるわね?」
『関係ないとは言い切れないな。調べた方がいいんじゃないか?』
 アポロニウスの賛同を得て、騒ぎを収集させるためにパンパンを手を鳴らした。
「はい静かに、注目。
 明日その広場に行ってみるわ。薄と圭は街門について調べておいて」
「は? 俺も?」
 傍観者のつもりでいたのだろう圭に、やや呆れた顔で向き直る。
「当然よ。ソティルを見捨てるの?」
「ケイ……」
 両手を組んで彼を見上げるあたり、ソティルもノリのいい性格のようだ。
 おまけに現在の姿を考えればこの攻撃は効くだろう。
 予想通り言葉に詰まってしまった圭に、さらに追い討ちがかかる。
「可愛い弟分を見捨てるなんてひどいな圭」
「見捨ててねぇッ でもなんで俺?」
「旅行者のあたし達と違って交友関係あるでしょうが。
 学校って噂とか集まるだろうし」
「まーな。卒業された先輩方には復元に携わった人もいるだろうけど……
 俺、専門は絵画だからなぁ」
 口は文句を言いつつも指を折って何かを数えているあたり、協力する気も話を聞く相手のあてもあるのだろう。
「公女お一人で行動されるので?」
 不服そうに訴えるのは薄。単独行動など許せないのが本当のところだ。
 主の身を案じてというのは嘘ではないだろうが、目がありありと語っている。
 即ち、勝手に突っ走られるから嫌だ、と。
 自分の立場は分かっているので、コスモスも苦笑して返す。
「ソティルと一緒に行くし、大叔母さんに頼んで助っ人寄越してもらうわよ」
「さようですか」
 しぶしぶながらも薄が了承したところでコスモスは腰を上げる。
 明日もまた忙しいのだから、そろそろ眠らないと。
「じゃ、そーゆーことで、よろしくね。特に圭」
「念押しは俺だけか」

 文句を背に受けながら、まずコスモスが部屋を出て、ついでソティルも退室する。
 そのまま自室に戻ろうとしたが、ちょっと考えて階段を下りた。
 きしきしと階段がなる。
 途中にかけられている鏡に映る自分の姿に、また深いため息が漏れた。
 ゆるくウェイブがかった金の髪に緑の瞳。
 色合いだけなら彼女と――ユスティーナと同じもの。
 逢いたいと、思った。
 あの日あの時、彼女の出発を見送ってからたびたび思ってきたけれど、今は特に強く思う。不安で仕方なくて、逢って顔を見れば少しは安心できる気がして。でも――
 今、この姿で逢ったら。信じてくれて笑われるか、馬鹿にしてるのかと怒られる気がする。
 ため息をついて階段を下りると、案の定キッチンの明かりがついていた。
「じいちゃん」
「ソティルか?」
 孫の呼び声に振り向いた祖父は、しかし姿を目にしてしばし硬直し、それから重々しいため息をついた。
 やはり孫息子がいきなり孫娘に変わってしまったショックは大きいらしい。年も年だし、ソティルとしても心配はかけたくないが、知らせないまま過ごすのも不可能。
 予めちゃんとした大人から連絡がいっていてよかったと思う。
 それでも衝撃は大きいだろうけれど。
「本当に魔法ってのは訳が分からんな」
「でもさ。その魔法のおかげで父さん今元気なんだし」
「そうだな……生きていてくれるだけで幸せだと思わんとな」
 この世に『魔法』が残っていたから、ソティルの父は助かることが出来た。
 その代わりにすごい桁の借金を背負うことにもなったけれど。
「それに協会の人たちがちゃんと調べて元に戻してくれるって、だからきっと大丈夫だよ」
「そうだといいがなあ」
 あのときの治療費を思い出してるんだろう祖父の顔は渋い。
 実はソティルもそれが心配でレベッカに聞いてみたのだが、気にすることないと大笑いされた。ソティルの側に過失はないのだから当然だろうけれど、それでも心配なものは心配だったのだ。
「戻れるまでは仕事は休みだな」
「……休むような、休まないような。
 今のお客ってケイとコスモスさんたちだけだし」
 苦笑する孫に祖父もそうだなと笑う。
「今日は疲れたろう。早く寝なさい」
「はーい」
 おやすみなさいと挨拶をして、今度こそソティルは自室へ向かう。
 明日目が覚めて戻ってたらいいなとかすかな望みを抱いて。