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ナビガトリア

lycoris-radiata
【第二話 花の都のとある怪談】 3.最後の『はじまり』

 良く晴れた空を見上げて、コスモスはふと自問する。
 昨日は着いた時間帯がよかったのだろうか?
 いや、観光地というものは元々人であふれているものだ。
 だからそこまでおかしいものではない。
「分かっていても……こうも人が多いとどーかと思うわ」
「仕方ありませんよ公女。
 世界的な観光地ですし、予約が必要な美術館がいくつもあるくらいですよ?」
 コスモスたちは当初の予定通り、美術館めぐりに来ていた。
 ちなみに入場料その他は自費である。
 研究費だのといった名目で出してくれないあたり、協会もかなりしみったれている。
「公女。気風のよさを見せるにはいい機会だと思うのですけれど?」
「うちの状況分かって言ってるにはヘンな事いうのね薄。ボーナスカットされたい?」
「むしろ特別手当を請求したいくらいですが」
『二人とも、いくらソティルが桜月語を分からないといっても雰囲気は伝わるものだぞ』
 ぴりぴりと険悪ムードになりつつある二人を宥めるのは、今やすっかりアポロニウスの役目になっている。
 コスモスが引けば薄はそれ以上追求してこない。
 それは分かっているけれど、いつもこちらが引くのも腹が立つ。
 が、確かにソティルの心配そうな視線を感じるので彼女はしぶしぶ黙り込んだ。
 主従の間に流れる微妙な空気を読んだのか、ソティルが戸惑いながらも口を開く。
「ええと……ヴェッキオ美術館はプロスペラー期の絵画で有名で、アルテ国内で一番大きな美術館、です」
 どうやらこれから行く美術館について説明してくれるらしい。
 ああ、この子いい子だわ。根性悪の部下よりよっぽどいい子だわ。
 昨夜食事の席で、モノは試しとばかりに街の案内してくれたら嬉しいなと頼んでみたのだが、言ってみるものだ。彼のおかげで美術館の予約も街歩きもスムーズにいっている。
「石像もないことはないわよね?」
「え、はい。絵画がメインだけど、他にも色々ありますし」
「んー。一通り見て回るとして……展示目録が売ってればいいんだけど」
 そうしたら見過ごすことはなさそうだし、とはいえ研究中のものは出さないだろうからそのあたりはどうしようか。
 コスモスの探しているのは、石化されたアポロニウスの肉体だ。
 七百年前くらいに造られたと思われる等身大の成人男性像。
 この条件だけでも結構絞ることはできる。
 あの時代は大型の石像が主流で、等身大の物は少ないはず。
 石化された人間だと分かれば協会を通して丁重にお引渡しを願う予定だし、発見後の交渉に関してはあまり苦労はしないだろう。
 その『見つける』ことがとても大変なのだけれど。
 ファーシノ川沿いの道はさわやかな風が吹いてて気持ちいい。
『こうした格好は珍しいな』
 薄のようにひねくれていない、素直な台詞にほんの少しだけ笑みを浮かべる。
 ここにはソティルがいるから返事も出来ない。
 アポロニウスも分かっているから返事は期待していないのだろう。
 今日はちゃんとした美術館に行くということで、いつものパンツスタイルではない。
 場所によって服は選ぶ必要がある。
 ラフな普段着ではさすがにまずいだろうということで、コスモスは淡い色のブラウスにロングスカート、日除け兼冷房避けに薄手のカーディガンを羽織っている。
 家にいる頃にはこうした格好もしていたが、この一年近くの旅の間はスカートなんてはいていなかった。だから、珍しいといえば珍しいだろう。
「似合う?」
『ああ。だが、もう少し濃いか、くすんだ色の方が似合うと思う』
 川のほうに視線をやって独り言を呟くように小さく問いかけてみれば、意外にしっかりした返事が聞けた。
 彼女はまたほんのりとした笑みを浮かべて、朝日のまぶしい景色を眺める。
「ヴェッキオ美術館は最初公共建物として建設されたそうです」
 多分聞かれてないんだろうなと思いつつも、ソティルは案内を諳んじる。
 祖父の手伝いをすると決めてから、観光案内に必要な知識は頭に叩き込んだ。最近は雑誌やネットで情報を集めてやってくる客が多いから、こっちも勉強は欠かせない。
 途中で目についたものや街のことで質問を受けたり、逆にコスモスたちの国の話を聞いたり。そうしてゆっくりと歩みを進めても、予約時間に少し余裕を持って美術館に到着した。
「ふーん、二階が油絵と版画で、三階がデッサンや宗教画か。彫刻は廊下ね」
 時間つぶしにパンフレットをぱらぱらと見つつ、コスモスはごちる。
 最初からあたりが引けるとは思っていないが、あるいはそれでもといった期待はある。
 公共建物として建てられたという美術館。
 元は役所か何かにする予定だったのだろうか。なんとなく感じる圧迫感。
 教会に多く見られる色彩豊かな装飾ではなく、細工による陰影で威厳を表現している。
 周囲にはコスモスたちと同じように順番待ちの人が列をなしている。
 入場制限をしているから内部はそこまで込み合うことはないと聞いてはいたが、やはり国際的な観光名所。
 いつか家もそうしてみせるなんて見当ハズレなことを考えていると、ゆっくりと列が動きはじめた。
 騒がしかったおしゃべりの声が静まっていき、逆に熱気は上がっていっている。
 たくさんの有名画家の代表作が集まっている場所だから当然といえるだろう。
 絵を見ることを目的としていないコスモスが異端なだけで。
 一度ポーチに収めたパンフレットを開いて順路を確認する。
 どうやら入場してすぐにエスカレーターで三階に上がり、下りながら展示を見ていく形らしい。撮影は厳禁で、カメラも携帯も没収とは念入りなことだ。
「ん?」
 入場してすぐに、何か違和感を感じた。
「どうかされましたか?」
「んー?」
 目ざとく薄が聞いてくるがコスモスはそれには答えない。答えられない。
 だが、足を止める訳にはいかないのでなんでもないように彼女は歩みを進める。
 前の人に習い、蟻の行列のように一列になってエスカレーターを上っていく。
 変だと思う。何かがおかしいと思った。
 でも、それが何なのかが分からない。
 魔法に疎い薄は相談相手には向かない。出来るとしたら彼だけ。
 エスカレーターを降りて最初の展示室へと向かいながら機会を伺う。
 一人でぶつぶつ呟く怪しい人には見られたくない。
 なるべく人がいないような絵の前で、感心してるフリをしつつ話せば大丈夫だろう。
 人だかりになっている最初の絵――チェスティエの理想郷か、そりゃ人だかりにもなるや――を通り過ぎて、見学者がまったくいない絵の前で立ち止まる。宗教画のコーナーだからソール教に関するものだろうけれど、題材はまったく分からない。
 二人が追いついてきたのを待って、コスモスは隣の絵に移動した。
 主の意図を読み取ったんだろう。横目で様子を伺うと、薄はソティルをひっ捕まえて、天使の絵を指差しつつ質問していた。
 一部の絵に人が殺到しているおかげで周囲の人影はまばら。
 小声なら気に留められないだろう環境だが、念には念を入れて古代語で呟く。
 魔導士にとっては馴染み深い言葉だが、会話レベルまで習得している者はごくわずかというこの言語。内緒話にはうってつけだ。
「どう思う? アポロニウス」
『どう、とは?』
「何か変な感じがしたんだけど。この美術館に入ったときに」
『それだけで判断しろというのは酷だぞ』
 彼の言葉はもっともだが、変なところを答えられるならばそもそも質問しない。
 それは分かっているのだろう。しばし唸った後にアポロニウスは問いかけてくる。
『違和感を感じるというのなら、ある筈のものがないとか、ないはずのものがあるとかか?』
「んー。後者のが近い、かも。や、多い……のかな?」
『多い?』
 言葉にしてようやく納得する。
 そうだ、多い。
 いつもはかすかに存在するものが、急に分かるようになったような。
 存在感が増したような。
『魔力が濃い、ということか?』
「あ、なるほど」
 そうだ、この感じは空気中を漂う魔力の濃度が高いんだ。
「そっち方面あたしは駄目だからなー」
 情けないとこぼしつつ、不審に思われないように場所を移動する。
「でもあたしが変だと思うって事は」
『それほど魔法の道具(マジックアイテム)が収蔵されているということか』
 打てば響くように返ってくる答え。薄相手にはこういった話は出来ない。
 コスモスは考えを口にしながらまとめていくタイプなので、アポロニウスの存在はありがたい。
「一応対策はされてるはずだけど……
 知らずに収蔵してるか、隠し持ってる可能性があるか」
 魔力は常に漏れている、と言われている。
 自己放電に似ていると思ってもらえばいい。
 デジカメに電池を入れたままにしておいて、久々使おうとしたらバッテリーが空になっていたことはないだろうか。これは保管しているうちに蓄えた電気が逃げていってしまったからだ。
 魔力の場合もこれに似ていて、長年保管していた魔封石の色が薄くなる――魔力が抜けていく――ことがある。この現象は魔力を帯びているものすべて……つまり人にもあてはまるというが、場所を考えるなら前者の可能性が高い。
 密談を邪魔するように、薄がソティルを引き連れて前を横切っていった。
 話をするなら歩きながらしろと言う事だろう。
 二人から数歩遅れてコスモスも歩き出す。
「一度気づいちゃったら、結構な濃さね」
 まるで霧の中を歩いているように魔力がまとわりついてくる気がする。
 こんな状況ではせっかくの名画もゆっくり鑑賞する気にはなれない。
 いや、あまり観る気はなかったけれど、せっかく来たんだから見ておきたいのが人情だろう。
『手を打たなくて良いのか?』
「正式な手続き踏まなきゃ無理よ」
 魔力の濃度は湿気と同じで、ある程度は必要だけど高すぎると困るシロモノ。
 除湿機ならぬ吸魔石で過剰分を取り込む必要がある。
 アポロニウスの言い分はもっともだが、彼の生きてきた時代と今は違う。
 手続きは圧倒的に難しくなっている。
 依頼もなしにそういった行為が出来るはずもない。
『……そうだな、苦手そうだな』
 吸魔石はとてもデリケートな代物だということを思い出したのだろう。
 しみじみというアポロニウス。
「話が早くて良いけど、腹立つわ」
『じゃあどうしろというんだ』
 正論を言われると腹が立つ事だってある。
 とはいえ、これは八つ当たりに過ぎないのでここまでで止めておく。
 周囲の視線も気にしないといけないし、人が増えてきたから薄たちを見失っても困る。
 実際、コスモスが出来ることは見学後に協会に通報するくらいだろう。
 カメラはもちろん、携帯電話も入口で預けることになってしまったし。
「まあ後で大叔母さんに報告すれば良いわよね」
『待てコスモス。そのフリは何か呼ぶ気がするぞ』
 つい漏れた言葉にアポロニウスは引きつった声で真剣に返す。
「いや、それはないんじゃないかなぁ?
 確かに濃いことは濃いけど、それだけで何かが起こるでもなし」
『本当にそう思うか?』
 きっぱりとした口調で言われて答えに詰まる。
 コスモスは自分がトラブルに巻き込まれやすいことは熟知している。
 が、いくらなんでもタイミングよく何か起こるとは思えないのだが。
「コスモスさん?」
「ん、何ソティル」
 いつの間に近づかれていたのか、どこか怪訝な顔のソティルが隣に立っていた。
 その後ろで薄は面白そうに観察している。
「えっと、何か困ったことでも?」
「ううんちょっと後でやることが増えたなってだけ」
 苦笑して返せば、ソティルは分からないといった様子で瞳を瞬かせる。
 金に近い茶色の髪に少したれ気味の澄んだグリーン・アイ。
 そばかすだらけの顔は気の弱そうな少年にしか見えない。
 歳は多分十五、六といったあたりだろう。
 シオンは確か十三歳だったな。
 なんとなく、故郷にいる弟を思い出した。
 ソティルが怪訝な顔をするが、気にしないでと笑ってごまかす。
 釈然としないながらも、気を取り直したのか問いかけてきた。
「コスモスさんは幽霊って信じます?」
「え。うん、いると思うわよ」
「じゃあ、うってつけのものがあります」
 にっこりと笑って先導するソティル。
 コスモスはなんとなく部下を見てみるものの、自分は知らないと肩を竦められた。
 仕方なくついていくと、展示室の出口で彼は振り返った。
「こっちです。ほら、あれ」
 廊下の手すりに寄りかかって、吹き抜けを覗き込むのは危ないと思うけどなぁ。
 少々呆れつつも、ソティルに倣ってコスモスも階下を覗き込む。
「なにあれ」
 角度が悪いのかよくわからないが石で出来た門のように見える。
「十年前に復元・移築された、百年前の街門らしいです」
「へえ」
 そんなものがあるのかと感心するコスモス。
 反応に満足したのか、ソティルはたかたかと階段を下りていく。
 なんだか嬉しそうだなと思ったら、彼も実物を近くで見るのは初めてだと言う。
 一階まで到達して門を見上げる。
 こんな大ホールに展示されているところから人気の展示物には違いないだろうが、人数はまばらでじっくり観るにはいいタイミング。
 両側の柱は縦に溝が彫ってあり、何かの蔓の彫刻が施されている。
 復元の仕方が良かったのか、管理が行き届いているのか、とても綺麗だ。
 外と違い、風雨にさらされていないせいもあるのだろうが。
「この門、ちょっとした曰くつきなんですよ」
「どんな?」
 にこにこと話したくて仕方がない様子のソティル。苦笑しながら薄が先を促す。
「ここに女の人の幽霊が出るんだそうです」
「へぇ」
「ノリ悪いですよ」
 よくある話だなぁと思って相槌を打つと、不服そうに呟かれた。
「あ、ごめんね。パラミシアって『良い家は幽霊がいるもの』って国だから」
 困ったように言われればソティルも黙らざるを得ない。
 パラミシアはアルテよりも歴史が古く、いろんな二つ名で呼ばれている。
 曰く、童話と妖精の国。女王国家。そして――魔法の国。
「パラミシアには幽霊たくさんいるんですか? 魔法の国だから」
「そういうものでもないと思うけど」
 返ってきた苦笑にソティルはむぅと唸る。
 他に何かびっくりさせるようなものあったかなと考えつつ、門をくぐった。
 門柱の周りは囲われていて近づけないが、門は通り抜けが出来る。
 だから通ってみただけ。
 だと言うのに、途端に視界がぶれた。
 めまいだろうか、虚脱感と同時に視線が暗くなる。
「ソティル!」
 鋭い声はコスモスのもの。ソティルは、知らず閉じていた目を開く。
 先ほど感じた虚脱感は何だったのだろう?
 視界ははっきりしているし、気分も悪くないしどこも痛くない。
「あ、大丈夫です」
 心配をかけないように笑って振り向くソティル。
 ほんの一瞬、視界の端に金色が映った気がしたが何だろう?
「ちょっとめまいがしただけで、なんでもありません」
 答えながら違和感を感じた。
 あれ? なんか、声が……高い?
 不思議に思って首を傾げると、何かが肩から滑り落ちた。
「ん?」
 なんだろうと思って下を向けば、見たこともないようなまばゆい金髪があった。
 ゆるくウェイブがかっていて、まるで物語に出てくるお姫様の髪のよう。
 これはなんだろう?
 とりあえず聞いてみようとソティルが顔を上げると、薄はなんともいえない表情で彼を眺めており、コスモスは思いっきり顔をしかめていた。
「えーと、コスモスさん?」
 なにかしただろうかと慌てるソティル。
 よく見てみれば、ホームにいる客のほとんどがこちらに注目していた。
 不思議そうに眺めている人もいれば、心ここにあらずといった様子の人や、明らかに硬直してる人もいる。
 訳が分からず戸惑うソティルに、コスモスは長い長いため息をついてから手持ちのポーチから何かを取り出した。無言で差し出されるそれを受け取るソティル。
 なんだろうと彼女を見るものの、答えは示されない。
 手のひらにすっぽり収まる、長方形の薄い物体。
 矯めつ眇めつ眺めてみると、開くことが出来るらしい。
 視線で伺うと重々しく頷かれた。意を決してそれを開く。
 片面は、ただのプラスチック。もう片面は鏡だった。
 そしてその鏡面には、金髪碧眼の美少女が映っていた。
 ゆるやかにウェイブをえがく絹の髪。
 パッチリとした瞳や小さな唇はとても愛らしく、どこかぽかんとした様子で映っていた。
 恐る恐る、鏡を持っていないほうの手を頬にあてるソティル。
 鏡の中の美少女の頬にも手が添えられた。
 そりゃ、そうだよね。鏡なんだし。
 自覚した瞬間、ソティルの意識は闇に溶けた。
「きゃあああっ」
「人が倒れたぞッ」
「ソティルッ」
「誰か係員呼んでこいっ」
 くずおれたソティルに殺到する人や係員を呼ぼうと走る人、指示を出す人。
 コスモスは何もせぬままに立っていた。
 何か起こるなんて思えなかったのは確か。
 起こってしまったことは事実。
 そこらじゅうに漂っていた濃い魔力が大分薄くなっている。
『だから、言っただろう』
 これから先のことを考えると、投げやりなアポロニウスの言葉がとてもとても哀しかった。