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月の行方

氷柱石の迷宮

 涼しい。
 さっきまでうだるような暑さの中にいたのに。
 ばさばさという大きな音が聞こえる。それと同時に起こる風。
 誰かが扇いでくれているらしい。
 首元にひんやりとしたものを当てられて、ポーラは重いまぶたを上げた。
 そばいにいる誰かがほっとしたように息を吐く。
 瞬きを何度か繰り返す。魔法で生み出されたのであろう淡い光。
 目が合うと気遣うように彼は問うてきた。
「気がついたか」
 あまり大きな声でなかったのに辺りに反響する。
 体がどうしようもなくだるくて熱い。目だけで辺りの様子を探る。
 自分が今寝かされているのは固い石の上。いや……洞窟の中。
 天井からはつららみたいなこぶ状のものがぶら下がっていて、そこから雫がゆっくりと落ちる。
 なんだか洞窟全体が湿っぽい感じがすると思えば、水の流れるかすかな音が聞こえた。
 ところどころ穴が開いているのだろう、太陽の光が洩れている。
「ここは鍾乳洞だ」
 何でそんなところにいるんだろう。それにユーラとラティオはどこに行ったんだろう。
「あいつらも後からくるだろ」
 口に出さずとも疑問が分かったのか問いに軽く答えるノクス。
 ポーラの上体を起こして手近な岩に寄りかからせて、彼女の手に水筒を握らせる。
「一気に飲むなよ。あと塩も忘れずに取るように」
 そっか。暑さで倒れちゃったんだ。
 今更ながら、他人事のように思って言いつけに素直に従う。
 水筒に口をつけてゆっくりと水を飲む。
 そうしているとノクスがぬらした布を持ってきてくれた。
 近い場所に地下水路があるらしい。
 布を頬に当ててほっとする。先ほど飲んだ水よりもだいぶ冷たくて気持ちいい。
 そのおかげで少し意識がしゃんとしてきた。
 何でこんなところにいるんだろう。さっきまで地上を歩いていたはずなのに。
「まだ顔が赤いな」
 心配そうに顔を覗き込んでくるノクスに聞いてみる。
「えっと……どうして私こんなところにいるの?
 ふつうに地上にいたはず……よね?」
「覚えてないか……まあ当然か。どこまで覚えてる?」
 向かい合うように腰を下ろして逆に問い掛けられて、記憶をたどってみる。

 緑の大地に映える白い石……いや、岩。
 大きさは小さなものでも子どもの姿がすっぽり隠れるくらいある。
 それがあちこちに、まるで何かのオブジェのように立っていた。
 小高い丘や逆にすり鉢状になっている起伏の激しい大地。
 遠くから眺めるぶんには良いのだが、歩くとなると結構面倒な場所。
 街道沿いは今検問が強化されていると聞いて、距離的には近いが決して楽ではないこのルートを取ることになった。

「ええっと……白い大きな岩が多い場所を歩いてて、あとは暑いなってことしか」
「暑いって思ってたんなら素直に言えよ。倒れるまで無理する馬鹿がいるか」
 そう言われてしまえば返す言葉も無い。
 迷惑をかけたくなくて黙っていたのに余計迷惑をかけてしまった。
「あ~。進んでいたらお前よりも先にユーラが倒れたんだ」
「え?」
「ラティオの奴が叫んだから気づいたんだけどな。今度はお前がバランス崩して」
 と、ポーラの眼差しから逃れるように顔をそむける。
 確か今日はちゃんと一列になって歩いた。
 草に隠れて穴があいてたり、地盤がゆるい場所が多いから間違って落ちないようにと。
 地下に洞窟があって今までにも何人か落ちた人がいると聞いていたから。
「……わたしのせいでノクスまで落ちちゃったの?」
「怪我はねぇんだから別にいいだろ」
 軽く言うけどやっぱり気まずい。
 確かにノクスが一緒に落ちてくれたおかげで自分は無事だったんだろう。
 天井を見上げて思う。この高さから落ちれば下手をしなくても命に関わる。
 どこから見ても剣士にしか見えない彼だが、魔法も初級のものはすべて習得している。
 もしも一人だったり、一緒に落ちたのがユーラだったりしたらと考えるとぞっとする。
 ノクスが急に顔を動かした。
 視線を追うと、近くの穴からゆっくりと降りてくるラティオの姿。その腕には今だぐったりとした様子のユーラがいる。
 光に抱かれ、降りてくる様子はまるで何かの宗教画のようで、非常時だというのにポーラは見入ってしまった。
 ポーラの近くにユーラを寝かせてほっとしたようにラティオは言う。
「こっちはだいぶ涼しいな」
「そいつまだ気づかないのか?」
 ユーラの顔はかなり赤い。
 慌てて手に持っていた布をユーラの額に乗せる。少しだけ触れた額はすごく熱かった。
「とにかく冷やすのが先決だな」
「こっちに水路がある」
 結局ユーラが目を覚ますまで、男性陣は甲斐甲斐しく世話をすることになった。

 女性陣が回復するには思ったよりも時間がかかって、再出発したのは日が傾き始めた時だった。
 水の流れる音、ぶらさがった鍾乳石から雫の落ちる音、そして彼らの足音。
 静かな洞窟にそれらが妙に良く響く。
「こっちであってるよな」
「降りる時に一応確認しておいたから間違いない」
 今度の隊列は魔法の明かりをともしたラティオとユーラが前を、ポーラとノクスが後ろを歩く。ミニチュアの棚田のような場所を通り、坂を登り、小さな浅い川を渡る。
 いくつもの分かれ道。どれほど歩いただろうか。
 この辺りは穴があいていないのか、光源は先頭のラティオの持つ明かりのみ。
 湿気の多い空気。見慣れない不気味な風景。
 怪談の類が大の苦手なユーラは足の進みが遅い。
 が、足元がぬかるんでいるので注意して進まねばならず、幸いな事にそれに気づいているものはいなさそうだ。
「陰気っぽいって言うか……そこはかとなく不気味だね」
「言うなよっ」
 ただ感想を漏らしただけのラティオに思わず反論して、ごまかすために他に話をふる。
「こういうものはそんな風に怖がるからそう見えるだけで全然平気だよな! ポーラ!」
「え?」
 聞いていなかったのか、問い返すポーラの顔色は酷く青白い。
「ポーラ顔色! もしかしてそんなに寒いのか?!」
 確かにここは少し肌寒い。
 熱中症になったから冷やしたけど、そのせいで今寒いのかも。
 不安いっぱいなユーラの顔を見て何故かポーラは狼狽したように首をふる。
「え? あ、そんな事ないけ、わ!」
 危うく滑りかけたところを隣のノクスに支えられる。
「足元気をつけろよ」
「ごめんなさい。ありがと」
「ユーラもよそ見してるとすべるよ」
「分かってるよ!
 ポーラ大丈夫か? ごめん。あたしが話しかけたから」
「ううん。気にしないで大丈夫だから」
 そういう彼女の顔色はやっぱり少し悪くて。
 ため息一つ、ノクスはポーラの持つ杖に明かりをともす。
 途端にほっとした様子を見せる彼女にさりげなく言う。
「暗いもんな、ここ」
 だから足元が危なくてこけたのだと。
「ん。ありがと」
「地上に出たほうが良いんじゃないか?」
 こんなところはもう出たい早く出たい。気持ちが滅入る。
 ユーラが嫌がっていることなど分かっているだろうに、考える振りしてラティオは言う。
「時間的にもう夜だし。足元が見えないんじゃまた落ちる可能性あるし」
「方角あってるのか?」
 確認のつもりでノクスは聞いてみた。
 もちろん。
 そう返事が返ってくるとばかり思っていたのに、何故かラティオは黙るばかり。
「をい?」
「地下でこれだけ枝道分かれ道坂道あったらなぁ」
 遠い目をしてどこかを見るラティオの言葉にユーラは迷わず彼の胸倉をつかみ上げる。
「どうするんだよ!」
「次に穴見つけたら地上に出ようって思ってたんだけど、なくてねぇ」
 ないから作れば良いというものではない。
 地上に何かがあっても困るし、狙ったところだけ壊せるとも限らない。
「さ。頑張って見つけるまで歩こー!」
 本人も自棄になっているのだろうラティオの声に、残る三人は力なく応えた。
 彼らはもう二度とここは通らないと誓うのはいうまでもない。

辞書をひいて、「な~んだ鍾乳洞か」と思ったのもつかの間、本気で頭を悩ませました。
修学旅行の秋吉台&秋芳洞の記憶を引っ張り出して書き上げました。
「穴が開いてて落っこちる」は引率の先生の弁です。(05.08.24up)

遥かなる故郷

 旅をしている彼らにとっての楽しみといえば、やはり食べ物だろう。
 その土地でしか食べる事の出来ない料理に舌鼓を打つ。
 物見遊山の旅ではないが、食事は辛い旅の中では大きな楽しみの一つとなっている。
 野宿が続いてようやく宿に着いた時などには食べたいものを思い切り食べる事を誰が止めることが出来ようか?
 知らない土地に来たならば、まず近くのテーブルの料理をさりげなく観察する。
 メニューなど高級な店でなければまず置いていないから、店の主人のお勧めか周囲の客が食べているもの、これらを参考に注文するしかない。
 とはいっても「地元民にとって」美味しい料理にあたることも多いのだが。
 しかし今回はこの国出身のラティオがいる以上、そのことを心配する必要はないだろう。
 それが分かっているからか、仲間を見渡しラティオは言った。
「どんなのが食べたい?」
「お米が食べたい!」
 妙に力の入った返事をしたのは銀髪の少女。
 呆けたようなユーラにかまわず彼女はラティオから視線を外さぬままに訴える。
「ここ、お米を使った料理ある?」
「あるが……?」
「よかった!」
 待ち望んだ返事にぱっと笑う。
 これでようやくお米が食べられる!
 この東大陸では米食はあまり見られるものではない。
 とはいえポーラは生まれてから十二、三までのほとんどを米食で過ごしている。
 ひとえに母の故郷の食文化のせいなのだが、幼い頃から慣れ親しんだ味ゆえに、どうしようもなく恋しくなってしまう事がある。今回のように。
 非常食ばかり続くのも嫌だけど、宿で温かい料理を求めても出てくるのはパン。
 なんというか、こうもパンばっかり続くと飽きるって言うか。
 魚のほうは野宿の時とかに川とかで釣って食べれるからいいにして、米はそう食べれるものではないからこういうチャンスに食べておきたいとポーラは常々思っている。
「ポーラは米ね。他は?」
「牛肉!」
「野菜も頼む。後は任せる」
 返ってきた返事に頷いてラティオは給仕を呼びとめ注文を告げた。
 しばらく待つと、テーブルの上に料理が並べられる。
 大きな深い皿が一つとかごに盛られたパン。取り皿が数枚とそれよりは大き目の皿。
「これがクシュ・テュルルス。見ての通り肉と野菜の煮込み料理」
「ふーん」
 説明しつつ、ラティオが取り皿に料理を取り分けていく。
 思ったよりも肉の量が少なかったのか、気のない返事をするユーラ。
 見慣れぬ料理を興味深そうに眺めるノクス。
 そしてポーラは絶句する。目の前に置かれた料理を見て。
 色は白い。
 だが普通米飯はぷるんぷるんと揺れたりはしないし、こんなに甘い香りもしない。
 困った顔でラティオを見れば、彼も困った顔で。
「米の入ったミルクプディングでシュトラチというんだが。
 デザートは後からの方が良かったか?」
「デザート……」
 うめくように呟いて、ポーラは少々引きつった笑みを浮かべる。
 ……そうね。
 そうよね……白いご飯なんて他では食べられないってアースも言ってたものね。
 ため息を飲み込み、笑顔でいただきますを言う。
 それを合図にして他の三人も料理に手をつけた。
 まずはクシュ・テュルルスを一口。
 野菜にも味がしみこんでいて確かに美味しい。
「ん。美味い」
「それは良かった」
 ユーラの反応にラティオは微笑を浮かべる。
「やっぱさ。食べ物が合わないと最悪だよな~」
 うん今わたし、その状況。
 間違いなくこれはわたしの食べたいご飯じゃない。
 心の中だけでユーラの意見に賛同する。
「何食べても、どんな料理頼んでも辛かったとこがあってさ。
 ただでさえ辛いのに、その上にスパイス入れまくるんだぞ? 信じれるか?」
「寒い地方なんかじゃどうしても体を温めるために辛いものとったりするからね。
 その地方独自の食べ物はそれが土地に合ってるからこそ発展したんだろうし」
「そっか。そこの町のやつらは確かに美味そうに食ってたもんな」
 感心したようにユーラはうんうん頷いて、肉をもぐもぐと食べる。
 いつものやりとりが嘘のようにユーラとラティオは仲良く会話をして、和やかに昼食の時間は過ぎた。

 ベットにころんと横になってポーラは深く息をついた。
 下手に期待をしていただけに、予想を裏切られてしまうとダメージが大きい。
 おまけにポーラはプディングが苦手だから、ラティオがせっかく頼んでくれたシュトラチも結局あまり食べなかった。
 食欲もわかなくて夕食は食べてない。
 荷物の整理とかやる事はあるのだけど、なんというかやる気が出ない。
 まだ寝るにはだいぶ早いけど……もうこのまま寝てしまおうかとか思っていると、控えめなノックが響いた。
「はい?」
「今いいか?」
 少し戸惑うようなノクスの声に、少々不思議に思いながらもポーラはドアを開ける。
「どうしたの?」
 問い掛けるポーラから視線をそらして、ノクスは手に持ったそれを差し出す。
 両手に乗るくらいの大きさの蓋つきの鍋。
「差し入れ」
「え?」
「いやだから」
 きょとんとして見返すと、何故かしどろもどろになりつつ。
「夕飯食ってないし、昼もあんまり食ってなかったろ?」
 言い方はぶっきらぼうな感じがあるけど内容はいたってポーラを気遣うもの。
 確かに流石に少しおなかすいたなとは思っていたけど。
「倒れられでもしたら困るからな。ほら」
 促されて鍋を受け取り、そのまま空いている方の手で蓋を開けてみる。
 ほわっと広がる蒸気。
 とりあえず原形を留めている白い粒々。真ん中には卵が一個落とされていて。
 玉子粥。昔風邪をひいた時に、アースがよく作ってくれていたもの。
「~っ ありがとう!!」
「うわこぼれるだろっ」
 火傷したらどうするんだと怒鳴るノクスに対し、全然反省してない様子でポーラは笑った。

 手にしたさじで卵ごと全体をゆっくり混ぜる。
 淡い黄色に染まったそれを一さじすくい、ふぅふぅと冷まして口に運ぶ。
「……おいしい……」
「塩でしか味ついてないだろうに」
「でもすっごく美味しいのよ」
 涙まで流してしまえそうな様子のポーラに、呆れたようにノクスが言う。
 本当なら渡したらすぐに部屋に戻ろうと思ってたのだろう。
 タイミングを逃してしまったために手持ち無沙汰に椅子に座り、じっくりと粥を味わうポーラを眺めている。
「本当にありがとう」
「……おう」
 にっこりと微笑んでポーラはまた粥を一口食べてそれはそれは幸せそうに微笑んだ。

作り方はミルザムに習いました。遥かなる故郷「の味」。
「彼ら」の食生活は江戸期の日本と同程度。
江戸時代はおろか、縄文時代でもいいもの食べてるんですよね……(05.09.14up)

闇を映す鏡

 そこそこにならされた道を三つの影が行く。
 辺りは闇。周囲を照らすのはランタンの明かりのみ。
 今宵は新月、月の光は望めない。
 時折何かの虫の音や動物の鳴き声がするのに、興奮冷めやらぬといった感じで少女が言う。
「夜に外に出るの初めてですっ」
 ニコニコと邪気のない笑みを浮かべて少女――グラーティアは足取り軽く夜道を行く。
「思っていたより大分暗くないんですのね。まるで星が降ってくるみたいっ」
「……ちゃんと足元を見て歩け。こけるぞ」
 明らかに聞いてないだろうが一応ノクスは注意をする。
 ポーラに至っては出発以来一言も口を聞かない。
「だってこんな事でもないと外に出れませんもの!
 夜にお出かけってどきどきしますわよねポーラさまっ」
「え? あ、そう?」
 ぎゅうっと腕にしがみつかれたからという訳ではないだろうが、ポーラの返事はあいまいなもの。
 でも正直この状況、ポーラには辛い。
 暗いところが大の苦手、しかも今日のような新月の日は決まって眠る事すら出来ないポーラにとって、今のこの状況は正直拷問以外の何者でもない。
 ひとりじゃないから、大丈夫。
 そう必死に言い聞かせているのと、自分より小さな子の前で取り乱すのは恥ずかしいという思いのみで何とか平静を保っている。
「道のりは楽しい方が良いに決まってますわ。それにもうすぐ着きますもの」
「で、結局何しに行くんだ?」
「あら、聞いていませんの? 兄様、何も言われませんでした?」
「『グラーティアが使いに行くからついていけ』としか言わなかったぞ」
 ラティオが重要な事を言い忘れるのは今に始まった事ではなく、すでに諦め慣れている。
「夜中に一人歩きさせるわけにも行かないだろうから引き受けたんだが」
 一応仲間の頼みだしと付け加え、うっそうと茂っている下草を歩きやすいように切り払ったり踏み固めつつ進む。
 暗い上に木々が増えてきて星明りまで遮られて、ポーラはますます動きがぎこちなくなっていくが、生憎というか幸運にもというか、グラーティアが気づいた様子はない。
「祭具を取りに行くのですわ」
 えへんと胸をはってグラーティアは答える。
「『鏡ヶ池』のほこらに納められている鏡を、明後日の神事で使うのですわ。
 この鏡は光に当ててはいけませんの。ですからこんな夜中に行くのですわ」
「夜明けまでに神殿に戻れる距離なのか?」
「もちろんですわ。受け取りの役目は未婚の女性と決まってますの。
 昔は六歳くらいの方が行っていたそうですわ」
 それはすなわち子どもを連れていても行って帰れる距離という事。
 ならそこまで長い時間はかからないんだ。
 ほんの少し、少しだけポーラはほっとする。
 今の段階で正直震えてないのが奇跡なくらい怖い。
 きっとすごい顔色しているんだろうなとか他人事のように思う。
 そうして歩く事しばし、急に視界が開けた。
「きゃあっ ロマンティック~♪」
 グラーティアが歓声を上げ、ポーラも思わず息を呑む。
 夜空を映した水面はきらきらと輝いていて、中央にあるほこらを影に浮かび上がらせる。
 周囲が暗いだけに、その光は一層幻想的な趣をかもし出している。
「ほら早く行って来い」
「ええええ~。もう少し眺めていたいですわ」
「取ってきたらしばらく見てても良いから」
「……わかりましたわ。ではしばらくお待ちくださいませね」
 宥められて、少し不満そうにしながらもグラーティアはほこらに向かって歩き出した。
 その様子を見送って、ポーラは少し池に近づく。
 きらきら光る水面を見ていれば恐怖も少しは薄れるかもと思ったのだが。
「落ちるなよ」
「そこまで鈍くないもの」
 むっとして言い返すものの、はっきりと言い切れないのが悲しい。
 確かにこの暗さでは見誤って落ちてしまう可能性もある。
 そろそろと慎重に近寄って池を覗き込む。
 ノクスがためいきをつくのが聞こえたけど、生まれた好奇心をけすのは難しい。
 ちらちらと光る星に、映る自分の顔。そして。
 え?
 瞬きをしてもう一度水面を見る。確かに映っている。ありうるはずのないその光景。
 足から力が抜けてその場にひざをつくが、もっとよく見ようと覗き込んだ。
 その瞬間後ろから思いっきり引っ張られた。
「なっ」
「池に落ちたら洒落にならんからこっち来とけ!」
 怒ったような口調で言われて、有無を言わさず池から離されて。
 少し腹も立つがさっきの様子を客観的に見てみればそうされても仕方がないようにも思えたのでおとなしく従う。
 座ってボーっと池を眺める事しばし。グラーティアはまだ戻らない。
 隣を見れば、立ったままノクスは夜空を眺めている。
 星読みしてるのかしら。
「飽きない?」
「全然」
 打てば響くように答えてくる、その声。
 つられて星を眺めれば、何とはなしに昔のことを思い出す。
「そんなに星、好き?」
「ああ」
「そ、なんだ」
 当り障りのない会話をしながら考えるのは、途中に聞いたこの池の言い伝え。
 鏡のように澄んだ水面から『鏡ヶ池』。
 鏡を納めているから『鏡ヶ池』。
 そして――
 グラーティアが箱を抱えて戻ってくる。
 微笑みながら手を振って、一刻も早くここから離れるべく彼女を急かす。
 悪戯っぽく言った彼女の声が耳に残る。
 『この池は、胸に秘めた願望や心の闇を映す鏡だといういわれがあるのですわ』
 立ち去る三人の背後。
 たっぷりとした水をたたえて、池はただ静かにそこにあり続けた。

外国語使って意味を説明するのが面倒だったので、直球で「鏡ヶ池」。実際にあるような名前だろうなー。
ポーラが何を見たかはご想像にお任せします。
闇の中でいい。埋もれさせて蓋をして、しっかりと鍵をかけよう。(05.07.13up)

「ファンタジー風味の50音のお題」 お題提供元:[A La Carte] http://lapri.sakura.ne.jp/alacarte/