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終の朝 夕べの兆し

Vol.4「adulescentia」 1.幼い思い出

 知らない鳥の鳴き声。だんだんと薄暗くなっていく視界。
 どうしてここにいるんだろう。こんなところにかくれなきゃ良かった。
 そう、途方に暮れるのは遅かった。

 孤児院を兼ねた修道院で暮らし始めたのは少し前のこと。入った当初から邪険にされていた年嵩の子に意地悪されて、飛び出したのがお昼をちょっと過ぎたころ。絶対に戻るものかと決めたものの、時間が経てば気持ちも沈み、揺らいでくる。
 外にいつまでもいたくはない。でも、すぐに見つかって連れ戻されたくなかった。だから、それが目についた。
 ちょっと薄汚れているけれど、とても大きな建物。倉庫にでもされているのか、人が住んでいる様子は見られなかったから、湧き上がる好奇心から近づいた。
 放置されている証拠のようにわっさりと生えた下草は、まだ小さな自分の背丈ほどもあって、一生懸命それらをかき分けて、ちょっとだけ開いていた扉を開けてもぐりこんだのを覚えている。
 晩秋にかかっていたせいか、陽の恵みがなければ寒さがじわじわ這い上がってくる。久々に走ったせいで喉も乾いたしおなかもすいた。
 元々、あまり大人にかまってもらうことは少なかったけど、たった一人になれば不安にもなる。
 一度泣いてしまえば止まらなくなることは分かっていたから、精いっぱいの矜持を持ってなんとか耐えていた。
 けれど、まだ五歳の子供には耐えられるものでもなくて。
「だれかいるの?」
 ぎりぎりの時に聞こえたのはあどけない声。ようやく聞こえた人の声に、足の震えが止まる。
「ねえ、いるんでしょ?」
 少し苛立ったような声に、慌てて立ち上がって入ってきた扉を思い切り押して外に出た。
 声はちょうどいいきっかけだった。あの声があったから、外に出ようと思えた。出ることができた。
 薄暗い場所から出て、いきなり変わった明るさに瞬きする。草のにおいと冷たい風にどこかほっとした。
「やっぱりいた」
 そう言ったのは同じ年くらいの女の子。柔らかな髪が夕暮れに淡く光っていて、手にした明かりで顔がよく見えた。
 今までに見たことがないくらい、かわいい子だった。
 夕闇に浮かぶ白い顔。まろい曲線を描く影も淡く、ほんのり色づいた唇はきゅっと結ばれている。闇が迫る夜空を閉じ込めたような紫の瞳がじっとこちらを見据えていた。
「こんなとこでなにをしていたの? まいご?」
 問われた内容に答えられず口ごもれば、矢継ぎ早に問いかけられる。
「おとうさんやおかあさんは?」
 ようやっとふるふると首を振れば、彼女はぱちりと大きく瞬きをして、もう一つ問いかける。
「ひとりなの?」
 ずきりと胸が痛んだ。涙がたまるのが分かって俯く。
 知っていた。でも、確認したくなかった。
「ふぅん」
 酷い言葉を投げつけた彼女はただ興味深そうにそう言って、ぱちんと両手を合わせた。
「じゃあ、うちのこになればいいわね」
 びっくりして顔を上げれば、先ほどまで人形のように澄ましていた彼女がとてもやわらかく笑っていた。金の髪が残照にちらちらと瞬いて、まるで光をまとった天使のよう。
「あなた、なまえは?」
 問われて口ごもる。
 名乗ってはいけませんと常日頃から言われ続けてきたから。
 それを彼女はどうとっただろう。返事のないことに口をとがらせ、何かに気づいたように瞬きをする。
「わたしはディアマンティーナよ」
 人に名を問うならば自分から。さあこちらは名乗ったぞと見つめてくる瞳。
 自分相手に、こんなにまっすぐ見つめてくる目は久しぶりで、気づけば口を滑らせていた。
「クレメンティア」
「そう。クレアはなんさい?」
「ごさい」
 一度口をきいてしまえばなんてことはない。今度はするりと言葉が出た。
「わたしは六さいだから、きょうからクレアのおねえさんね!」
 じゃあ帰りましょうと有無を言わさず手を取られ、引っ張られる。
 こちらのことなど関係なし、引っ張っているのだからついてくるだろうという強引さ。
 でも、それが、とてもとても、嬉しかった――

 ぼんやりした視界に映る、青い布。
 ところどころに金糸銀糸の刺しゅうを施した、偽りの夜空。どれだけ本物に近づけられるかを競争しながら作って、もう二年もたつ。
 何度も何度も指を刺してしまったからか、出来上がった満足感よりも、もう怪我をしなくてもいいという安堵の方が強かったな。
 軽く息をついて、横になったままに手足をゆっくり伸ばす。
 急に動かすと痛めてしまうから、ゆっくりゆっくり。はた目にはのんびり見えても、だ。
「クレア!」
 何度目かの呼びかけ。すでに怒鳴ると言っていいくらいの音量になっている。
「もういい加減起きてよーっ」
「起きてます」
 のそりと起き上がってつんと返す。
 こういう物言いや態度が疎まれる原因と分かっていても、十数年付き合ってきた性格はそう変えられない。言葉を発した後、どれだけ悔いることがあろうと、だ。
「起きてるんなら返事してよーっ」
「さっきしました」
 ああ、我ながら可愛くない。
 答えつつも、朝の身だしなみとして水差しから桶に水を移して顔を洗う。
 その間も彼女はもどかしそうにこちらを見ていた。
 柔らかな色合いの淡い茶の髪。瞳はサファイアを思わせる深い青。
 背は決して低くないのになぜか小動物を連想させる挙動。
 僅かに目立つそばかすがコンプレックスらしいが、それも魅力になりえる、庇護欲を掻きたてられる子。名前はメアリー・クロフォード。
「今日はどうしたんです? 随分早くから騒がれていたようですが」
「どうしたもなにも! あなた早番でしょう?!」
 早番? さて、何の話だろう?
 首をかしげてみせれば、さっきまでの怒り顔を一転、困惑した様子を見せる。
「早番、でしょう?」
「日直は先週終えましたが」
 心持ち勢いをなくした言葉に事実を返せば、そうじゃなくてと呆れられる。
「園芸部、今日は早番でしょう?」
「わたし、部活に所属はしておりませんが」
「え?!」
 ぽかんとした顔にこちらは首をかしげるしかない。
 部活には絶対に入らないといけないという訳ではないし、たまにお手伝いをすることはあるが、所属をしているわけではない。
 そう素直に告げれば、呆れたような溜息が聞こえた。
「だから言ったでしょう。起こすことなんてないって」
 そういったのはもう一人のルームメイト、エリザベート・ファリエール。
 少々釣り目気味の赤茶の瞳と、赤みがかった茶色の髪の小柄な女性。
 いつも通りの自信満々といった様子でこちらへ視線を投げかけている。
「クレアさんは自分で身の回りのことが一通りできるの。メイドに任せきりだったあなたと違って、ね」
「どういう意味かしら」
 あ、また始まった。
 この二人、何かと仲が悪い。
 メアリーは庇護欲を駆り立てられる――旧来のお嬢様タイプで、エリザベートは自立したはきはきと物申す――最近増えてきたお嬢様タイプ。
 おまけに実家が似た商売をしているせいか、こうしてよく張り合っているらしい。これでも、頻度は大分少なくなったと聞くけれど。
 あからさまにため息をついてみせれば、二人の口論がピタッと止まる。
「ごめんなさい、うるさくして」
「お休みの日なのに、起こしちゃってごめんなさい」
 口々にそう言って逃げるように部屋を出ていく二人。
 ドアが閉まる直前に、また少し言いあっている声が聞こえて、後は静かな部屋にわたしだけが取り残された。
 ため息を飲み込む代わりに深呼吸をする。
 とりあえず、着替えよう。
 外に出れば多少は気持ちも晴れるだろうから。
 そうしてクレア――クレメンティア・フェリキタス・スノーベルはのそのそと着替えを始めた。