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終の朝 夕べの兆し

Vol.3「somnium」 5.不安が忍び込む

 結局、ディアマンティーナに与えられた課題はレポート作成だった。
 バタバタしている協会にこれ以上いても意味はないだろうと、一行はとりあえず宿に戻ることにした。
「……いいのかしら、これ」
「良いんだろ、あっちがそういってるんだし」
「卒業試験は担当の裁量が大きいから、大変だったり簡単だったり幅がありすぎるからね」
 適当に返すフェンネル、苦笑するのはケイン。
 二人の先輩を見て、どうやらそういうものらしいとディアマンティーナは嘆息する。
「テーマも自由になるなんて思わなかったわ」
「じゃあ決めてやろうか?」
「結構です」
 間髪入れずに返事があり、ケインがおかしそうに吹き出す。
「おい」
「フェンネルじゃあどんな難題出されるか分からないから、だろ?」
「ええ。兄さんも大概酷いですけど」
 拗ねたように言うディアマンティーナ。本気で嫌がっているらしい。
 ルビーサファイアはただ一人沈黙を守る。
 もっとも、先ほどまでのやり取りのせいか、その眼差しはかなり冷たい。
 気にしないフリがうまいもんだなとフェンネルは思う。
 先ほどからずっと視線を感じていることに気づいていない者はいないだろう。
 恐れと侮蔑。魔導士なら誰もが馴染みあるもの。あからさまに魔導士でございといった服装をしているせいもあるだろうが。
「それにしても」
 空気を換えるようにケインが呟く。
「トリル副評議長、だったよね。随分若いけど出世頭かな?」
「いや、左遷じゃないか?」
 だってあの立地だし。口には出さなかったが皆わかっていたらしく、特にディアマンティーナはうんうん頷いている。
「僻地の要職だからフェンネル先輩の方かしら?」
「きっぱり言うね、相変わらず」
「国としては大きくても田舎ですもの。これで建物が立派なら別なのでしょうけど」
 明らかに追い出されてましたよね、あれ。
 続けられた言葉への反論はない。
 これ以上この話を続けるのもどうかと思ったのだろう。言い出した本人がため息交じりに口を開いた。
「確かに……追いやられた感じはあるけれど、あまりそういうことも言うものではないよ」
「はーい」
 話をふったのは先輩でしょうと視線で訴えつつ、彼女は一応返事をする。
 良い返事だ。とてもまずい方向に良い返事。
 ディアマンティーナはとても気まぐれで、ちょっとしたことで機嫌を悪くして、それを理由に仕返しをする。
 今度は何をやらかすことやら。
 肩を竦めつつフェンネルは他人事のように考える。
 【学院】内なら、世話をしろと押し付けられていただろうが、今は違う。
 そんな旧友の様子を見てとって、ケインは目を和ませた。
 自分は関係ないといった立ち位置を取っているフェンネルだが、きっと巻き込まれることだろう。
 ディアマンティーナは竜巻のようだ。いろんなものを巻き込んで、通り過ぎた後は散々な有様にする。
 それを嫌って離れない程度には、彼女に愛着を持っている。
 フェンネルも、そしてケイン自身も。
 そうでなければ、こんな面倒なことに付き合っていないのだから。

 今回も協会に泊まらず、このまま宿に逗留することになるだろうとのことで、ルビーサファイアは宿の主へと交渉に行った。ケインも一緒について行っているため悪いことにはならないだろう。
 フェンネルはディアマンティーナの見張りとして残った。ああでもないこうでもないとレポートのテーマを考える彼女は先ほどからムッとした顔でガリガリと紙に書きつけている。
 妙に書き進めるスピードが速い。
 迷っている様子はないし、資料も何も見ていないのも怪しい。
 ひょいと覗き込んでみれば、それはレポートを書きつける洋紙ではなく可愛らしいレター。
「何してんだお前」
「人の手紙を盗み見るのは重大なマナーですよ」
 そう言いつつ、書く手は止めず隠す様子も見せない。
 彼女が言うように確かに手紙を盗み見るのはマナー違反だろう。おとなしく体を戻せば、ちらと視線が向けられ、仕方ないといった様子で息をつかれた。
「ちゃんとレポートやってんのかと思えば」
「こっちもちゃんと必要なものですよ?」
 どんな言い訳が出てくるやらと視線をやれば、相変わらず眠そうな眼で彼女は面倒そうに続ける。
「父さんを安心させるために仕方なくです。
 一回でも届かなかったら飛んでくるというのですもの」
「……そーかい」
 それが冗談に思えないのがスノーベルという家だろう。
 おとぎ話にある転移の術を使えると聞いても、嘘とは思えないような家系だ。
「それからクレアにも出さないと、あの子うるさいんです」
「クレアがねぇ」
 会ったことなど数えるほどしかないディアマンティーナの妹。自分の知る兄妹たちとは違い、おっとりした娘だったと思うが。
「暇なんですって」
 きっぱりと言われた内容に脱力する。
 それだけか。
「入学資格があるのは貴族の子女だけで全寮制ですから、【学院】と比べれば波のない生活でしょうけど」
「お嬢様ばっかって訳か」
 それなら、周囲と話が合わないだろうことが察せられる。良くも悪くもスノーベルは世間一般の貴族とは違うのだから。
 そんな話をしているうちに書き終えたのだろう。
 手早く封印まで済ませて立ち上がる彼女に合わせ、フェンネルも腰を上げる。
「先輩どこかに行かれるんです?」
「お前のお守りだよ」
 そう告げれば、後輩は嫌いなものを間違えて口に含んだ時のような苦い表情をする。
「ポストなんてすぐ近くなのに」
「今朝言われたことをもう忘れたのか」
 呆れ半分に言えば、相変わらずの表情で黙り込む。
 何を言っても言い返すつもりでいたが、ディアマンティーナもわかっているからだろう。無駄なことはしないとばかりに、すたすたと部屋を出る。
 目はぱっちりと開かれて、口はしっかりと引き結ばれている。
 らしくない後輩の様子を見過ごすことはできないし、一応頼まれている相手でもある故に、フェンネルは彼女につき従った。
 道で感じる視線にはやはり負の感情が乗っている。
 魔導士に対して厳しい土地というものは多い。だからこういったことは珍しくはない……が。
「暴発しなきゃいいけど」
 どこか他人事のような口調のディアマンティーナ。
 他人事では済まされないことなど本人が一番知っているだろうに、この台詞。
 フェンネルは彼女の頭を軽くたたいて、窘めると同時に同意を示した。
 彼女の危惧通り、危ういバランスを保っているのだ。今は。