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終の朝 夕べの兆し

Vol.3「somnium」 2.不安定の釣り合い

 翌朝、久方ぶりにぐっすり眠れたフェンネルはかなり上機嫌だった。
 昨日泊まった宿は一階が酒場兼食事処、二階以上が宿泊用の部屋という典型的なものだが、朝から一階がここまでにぎわっているのは珍しい。
 基本的に朝が早いのは、意外にもディアマンティーナ。次が宮仕えの長いルビーサファイア。ルーズなわけではないが、ケインは見た目通りおっとりのんびりしている。
 一人部屋なんて贅沢はできないので、同室のケインを起こして階下へ向かう。
「……まだ早いじゃないですか」
「これだけにぎわってんだ。食いっぱぐれる可能性あるぞ」
 賑やかな人たちを縫って空いているテーブルを何とか確保する。
 くるくる忙しそうに動き回っている給仕を呼びとめて、とりあえず食事の注文はしておく。朝食のメニューなんて決まりきっているのだから四人分だけで良い。
 今日は協会に顔を出して……また課題を手伝うことになるのだろうか、などと考えつつ、連れを待つ。
 次に来たのはルビーサファイア。彼女はまだ眠そうな様子で挨拶だけして席に着く。
 周囲を軽く見渡した後問いかけてきた。
「ダイアナはどうした?」
「あ?」
 何を言い出すのだろうと眉を顰めて、それから嫌なことに気づく。
 フェンネルとケインが同室のように彼女たちも同室で、ルビーサファイアの口ぶりでは起きた時にはすでにディアマンティーナの姿はなかったのだろう。
 不思議に思わなくても仕方ない。普段から彼女は同室のルビーサファイアを起こすことなく、一人で先に食堂へ向かい、フェンネルと合流していたのだから。
「ケイン」
 一縷の望みをかけて、フェンネルは友人の名を呼ぶ。
 ケインは召喚術に長けていて、学院時代はあちこちで色々なことをしでかす兄妹に、見張り代わりに召喚獣をつけていた。
 だから、もしかしたらと思ったのだけれど。
「フェンネル」
 しかし返ってきたのはぬるい笑みとゆるく左右に振られる首で、わかってはいても項垂れる。
「あいつ、まだ持ってると思うか?」
 物を探す魔法はある。それを利用しての人探しなどはよくあることだ。
 けれど、その術を使うためには制約がある。
 探す物にあらかじめ術をかけておくか、探し物がマジックアイテムで魔力波動を熟知しているか。どちらかの条件を満たしていないと、見つけることはできない。
 フェンネルがディアマンティーナの持ち物で魔力波動を知っているものなど、学院で全員に配給される学生証代わりのブローチくらいだが。
「どうだろうね」
「だよなぁ」
 教師陣から追跡されるとあって持ち歩かれることなどまずない代物だ。
 となると、学院という枠のない場所で彼女を探すのは大変で。
「探さねえ訳にもいかねえな」
 嫌々立ち上がるフェンネルとは対照的にあわてた様子で立ち上がるルビーサファイア。
 ようやく目が覚めたのか、自身の仕事を思い出してか、悔しそうな表情をしている。
「どきなさい邪魔よ」
 苛立ち交じりの声が聞こえたのはその時だった。
 声の方に視線をやれど、人が多すぎて見えやしない。
 それでもあの声はよく響いたのか、店内の何人もが発生源――入口の方へと顔を向けている。
「おっかねぇな」
「そんな怖い顔してないで」
「連れがいるって言ってるでしょう。
 本当にあなたたちみたいなのってたくさんいるのね、不愉快だわ」
 どうやら散歩か何かで外出し、戻ってきたところを絡まれているらしい。
 見目だけはよろしい彼女ではあるし、朝からあんな赤ら顔をしている連中からすれば、小娘が多少強い口調で言ったところでどうってことないだろう。
 けれども、やはり相手が悪い。
 先ほどの声音からするにかなり苛立っている様子。手が出るのも時間の問題だろう。
 雇主が絡まれているとあれば助けに行くのが当然とばかりに駆け寄ろうとするルビーサファイア。
 けれど、一歩を踏み出す前に制される。
 彼女の行く手を阻むように腕を出しているのは美貌の魔導士。
 睨むようにすれば、ケインは視線でもって友人を示す。
 絡まれる彼女を見守るように動かない野次馬の間を縫って、フェンネルはづかづかと歩みを進める。
 彼からはよく見えたが、言い寄っている相手からは見えない位置でこぶしを握り締めているディアマンティーナ。
 怒りからではなく、確実に攻撃の前準備だろうと察せられて、大股で近寄って腕を取り引き寄せる。
「どこ行ってたんだお前は」
 名は呼ばない。どこで因縁をつけられるか分からないからだ。
 ついでに絡んでいた連中を軽く睨んでやれば、酔いが覚めたかのように真顔になっていた。彼は何やら文句を連ねそうな勢いの後輩を無視して、腕をつかんだまま席へと引っ張っていく。
 先ほどまでしつこかった連中は、誰一人として静止の声を上げることはなかった。
「先輩」
「ん?」
「遅いわ」
 にべもない言葉に見捨ててやろうかという思いがよぎるが、なんとか踏みとどまる。
「遅いじゃないだろ」
 椅子を引いてやって、両肩を掴んで力任せに座らせる。
 この細い肩でたいして力もないくせに、どうしてここまで自信たっぷりでいられるのだか。
 ディアマンティーナはつんとした様子で顔をそむけるが、それでも一応礼は言う。
 助けたことに対してか、椅子を引いたことに対してかはわからないが。
 彼が再び席に着くのを待って、言い聞かせる口調でケインが切り出した。
「ディアマンティーナ、君も助けくらいよびなさい」
「だって面倒だったんです」
「面倒がんな」
「命にかかわらなければいいというものじゃあないだろう?」
 フェンネルの口出しを無視して、あくまで穏やかに言い聞かせるケイン。
 大抵の者は彼女と意見を言い合うとすぐに口げんかに発展してしまうが、ケインは別だ。
 ルキウスと違い、ガイウスとはそう言い合いにならないことから、ディアマンティーナに対しては根気強く穏やかに言い聞かせる方がいいのだろう。
「フェンネルを見て怖気づくくらいだから、根性のある相手じゃなかったんだろうけれど」
「ケイン先輩って時々毒吐くわよね」
「君はただでさえ色んなものをつれてくるんだから気をつけないと」
 どれだけ茶々を入れようがケインはとにかく言葉を続ける。言いたいことは言い切る。
 これもまた、彼らの付き合い故に覚えたこと。
「君の防御を破るのが難しいことはよく知ってる。でも、だからといってむやみに危険な目に合うこともないだろう? みんな心配だから言ってるんだ。
 そのくらい分かってるだろうディアマンティーナ。一人では行動しないように」
「……はぁい」
 渋々ながらの後輩の返事に睨むようなそぶりを見せたものの、ケインはそれ以上は言わず、代わりに大きくため息を吐いた。
 わがままな子供と言い聞かせる母親のような構図だが、あながち間違っていない。
「危ないってーのなら、ルビーサファイアやケインにも言えることだがな」
「全員で動くのが間違いない」
 ぼそりと成されたフェンネルの言葉に、本人分かっているのだろうケインが力なく答える。
 彼は中性的ともいえる美貌のため、学院時代は女性に間違われて付け回されたことや男と知っていて近寄ってくる者もいた。その時のことを思い出したのだろう。
 ルビーサファイアとて美人だ。額に張り付いた石を異形と見る者は少ない。魔導士としての格や力の証をただの装飾品と見てしまえば、彼女を彩るものでしかない。
 フェンネルは学院時代にも美形に囲まれていたので慣れている――トラブルを招くことも知っている。
 もっとも、フェンネルに面と向かって喧嘩売るような人間も少ないのだが。このあたりは目つきの悪さが役に立ったとも言える。
 とはいえ、魔導士相手に絡む人間は少なくない。特にここ最近の科学の台頭で肩身が狭くなっていく一方の彼らに、かつての恨みとばかりに向かってくる輩の多いこと。
 彼らからすれば、大きな顔をしていた魔導士たちに鉄槌をということなのだが、もともと魔導士は――魔法を扱うものは人ではないと虐げられていたわけで、まさに卵が先か鶏が先かという話になる。
 その負の連鎖を作らないために、協会が科学を取り入れている面もあるのだろう。
 二重にも三重にも因縁をつけられやすい人間が三人。
 何事もないわけにいかないだろうと簡単に察せられて、それぞれうんざりした様子で朝食を取り始めた。