Vol.2「progressus」 4.始祖の血脈
――夢を見ていた。
いつ頃から見るようになったのだろうか。もう何度も見た夢。
いい加減慣れてもいいはずなのに、慣れることのない悪夢。
目を開けば、どこにでもあるような古びた天井。
吐かれた息は安堵か諦念か。
それは、本人にもわからないのかもしれない。
さて、何のかんのと振り回されてはいるが、この旅の目的は五か所以上の協会を巡り課題をこなす、ディアマンティーナの卒業試験だ。
この町の協会で三か所目、折り返し地点には来ている。
「なんだか、いきなり古臭くなった気がするわ」
協会のある街についた早々に、失礼なことを言うディアマンティーナ。
気持ちは分からなくもないがあまりに身も蓋もなさすぎる。
「昨日まで『先端』にいたんだから仕方ねぇだろ」
「でも先輩。協会があるってことはそれなりの規模の町ですよ?
なのに、趣がある、じゃなくて、古臭いっていうことは問題があるでしょう?」
「趣があるか、古臭いかは人それぞれの感想だろ」
「それはもちろんそうですけど、先輩は思いません?」
「ノーコメント」
くだらない会話をつづけながら協会入口へ向かうと、そこには一人の男性が立っていた。
すらりとした身を包むのは協会お仕着せの黒いローブ。
髪はローブの黒に映える金。容姿は二枚目半くらいだろう。
どこか芝居がかった様子の彼は、こちらの姿を認めると深々と頭を下げた。
「お待ちしておりました。レディ・ディアマンティーナ」
表情を隠すような長く濃い金の髪の合間から、深い海のような瞳が静かにディアマンティーナを見据える。
「レディ?」
小さなつぶやきはルビーサファイアから漏れた。
それはそうだろう。単純にレディだけを言うのならば、ただの呼びかけでしかないが、名をつけると意味が変わる。
名前の前につける場合は尊称になる。それも、そこそこレベルの上流階級相手のものに。
「ここアレティ協会で担当になりますニコラ・モーリスと申します。どうぞお見知りおきを」
「初めましてミスタ」
「姫君においで頂けるとは光栄の至り」
胸に手を当て深々と頭を下げるニコラを見て、ルビーサファイアの視線がフェンネルを射る。ぶしつけではなく、けれど責めるように。
対して彼は軽く肩をすくめて見せた。言葉はない。必要もないし、義務もない。
大方ルビーサファイアはなぜ黙っていたのかと問うているのだろうし、フェンネルは伝える必要などないと切り捨てるだろう。
いや、護衛として雇われたのだから、ルビーサファイアに聞く権利はあっただろう。
ただし、相手はフェンネルではなくディアマンティーナだ。雇主に騙されるようではこれから苦労するだろうし、話さなかった後輩が悪い。
フェンネルは、たまたま道中を同じにする相手でしかない。
同じ目的を持つからと言って、そこまで頼られても困る。仲良しこよしの間柄じゃないし所属する場所でいえばライバルだ。
故に、フェンネルは話さない。
そんな後ろでの攻防を知っているのかいないのか、張り付けた笑みのまま案内人と対峙するディアマンティーナはいつも以上に不機嫌そうに見えた。
――夢を見ていた。
相変わらずのいつもの悪夢。
起きるとほとんど覚えてないくせに、悪夢だということだけは覚えている。
目が覚めたのはきしんだドアの開く音のせい。
「ノック位するもんだろ」
寝起きの不機嫌さそのままに言えば、相手は悪びれもなく返す。
「しましたよ? 先輩が聞こえなかっただけじゃないですか?」
「前も言ったと思うが、男の部屋に入ってくるな。お前いい加減自衛しろ」
なんで俺がこんなことを言わなければいけないのかと思うが、長年の付き合いのせいか保護者役が抜けきっていない。
「そんなこといいますけど先輩、わたしの防御破れたことないじゃないですか」
それもまた事実ではある。不本意ながら。
当時の『学院』で突出した攻撃力を持っていたフェンネルとルキウス、それぞれがディアマンティーナの防御を破ることはできなかった。
「だからって隙を見せていいわけねぇってーのも何度も言ったはずだがな」
そう言って起き上がる。
「ほら出てけ」
着替えるのだとわかっているだろうに動かない後輩に向かって手を振るものの、彼女は相変わらず動く様子を見せない。
「野郎の着替えが見たいのか」
「ちょっと気になったので」
「痴女かお前は」
「先輩がやつれてるように見えましたから」
「はぁ?」
ちゃんと怪訝そうに聞こえているだろうかと思いながらも問い返すフェンネルに、ディアマンティーナはこともなげに告げる。
「先輩この時期、妙に元気がないこと多かったでしょう?
兄さんも気にしていたので、今はどうかなと思いまして」
内心で舌を巻く。
大雑把なようでいてこの兄妹はよく見ている。
フェンネルが夢にうなされることが多い時期を分かっていたとは。
兄の様子から気づいたというが、ルキウスも良く気付いたとは思う。
同学年で張り合ってはいたが、共に過ごした時間は決して長くないというのに。
「それと、着替えを見ることの関係は?」
「ないですね」
きっぱり言ってくるりと反転し、部屋を出るディアマンティーナ。
パタンという音が妙に白々しく聞こえた。
そしてもう一つ、よくよく耳を澄ましていなければ聞こえないほどの足音が遠ざかって行った。
ルビーサファイアあたりだろうか?
彼女は自分と違い、ちゃんとディアマンティーナの護衛をしている。
同性だから比較的どこにでもついていきやすいし、依頼料が出ているせいもあるだろう。
ただ、フェンネルだって彼女の立場ならきちんと仕事をする。
相手がディアマンティーナだということが、少々おざなりになっている理由だろう。
放っておいて大丈夫だという信頼がある一方で、万が一を考えてしまう危うさはある。
つまりは、お人よしほど彼女に振り回されることになるのだが、あいにくとフェンネルは自身が人がいいなどとは全く考えていないのであった。
さて、護衛とはいっても一度協会についてしまうと、フェンネルもルビーサファイアも暇になる。
何しろ行われるのは卒業試験なわけで、課題をこなすのはディアマンティーナ自身でなければいけない。
前回の課題のようにフィールドワークというならば道中の護衛くらいはするが、筆記試験等ではまずフェンネルたちの出番はない。
そういう訳で彼女が課題にいそしむ間、フェンネルは暇を持て余していた。だからこそルビーサファイアがこちらへやってきても、彼女も暇だからと思っていたのだが、そこで、どうしてか責められることになった。
「なぜ言わなかった」
「何のことだ?」
普段のどこかぼんやりした様子は消えうせ、きつい眼差しで睨まれての問いに、彼はしらばっくれつつ本のページをめくる。
せめてもの暇つぶしにと図書館から借りてきた蔵書をカフェで広げて、それなりに興味を引く内容に集中しようとしていた矢先に捕まったフェンネルは不運と言えなくもない。
しかし彼のそんな態度に構わず、ルビーサファイアは話を続ける。
「ダイアナがスノーベルだということの察しはついていた。
だが、『どの』スノーベルかまでは考えていなかった」
「聞く気もなかったわけだな」
断定してやれば、一瞬のためらいもなく首肯される。
「当たり前だ。『塔』の魔導師にとってスノーベルは功罪ありすぎる」
「それを言ったら協会もなんだがな」
創始者とその一族は、それはもういろいろとやって下さっている。
本当に、色々と。
「それでダイアナはどの系統なんだ」
せっつくように問いかけてくるルビーサファイア。
スノーベルはそれなりに――もとい、かなりの歴史を持つ家だ。
故に親族も多く、魔導師として大いに協会や塔を盛り立てている家もあれば、魔導師としてかなりの問題児扱いされている家や、魔道から離れてしまった家もある。
そして、問題のディアマンティーナの家はというと……
「本家だ」
突き放す声に、ルビーサファイアは訝し気に眉根を寄せる。
たったの四文字が認識できなかったのか、はたまた聞きそびれたのか。
「本家。
ディアマンティーナ・セクリタス・ヘレス・スノーベル。
あいつはスノーベル本家のお嬢様だよ」
今度は理解したのか、途端、苦虫をかみつぶしたような表情をする。
感情に乏しいように見える彼女にしては珍しい。
それから深い、深い息を吐いた。
「それで……いや、それなのにというべきか……あの台詞か」
「安心、になるか知らんが、あいつの兄貴どもも似たようなもんだ」
フェンネルの駄目押しにルビーサファイアは天を仰ぎ、やけ食いを始めた。