たまにはこんな一日も
なにかおかしいと気付いた時には遅かった。
急ぎの仕事が終わって、とりあえず休憩とばかりに飲み物を持ってソファに座ってしばらく。糸が切れたかのように動けなくなった。
やってしまった。
反省しつつも、この状態まで陥ってしまったものは仕方ないと現は諦める。
頭痛にどうしようもないだるさ。
先ほどまで『なかったこと』にできていたものは、もう無視できないほどにまでなっていた。
幸いここは自分の部屋のような図書館館長室。
ちょっとした食べ物や飲み物、薬の類は常備しているし、仮眠用の部屋もある。
テーブルに置かれた菓子入れに手を伸ばし、せんべいを一袋とってちまちま齧り、気合を入れて立ち上がる。
立って食べるのは行儀が悪いが、もう一度座りでもしたら本当に動けなくなる。
ブランクは長いが、一人旅だって長い間していた。
せんべいを飲み込んで、見つけた風邪薬を飲む。
今日の残りの予定を思い返しつつ、団長にだけは体調不良を伝えて、仮眠用の布団へ横になった。
後は休むだけで気を張る必要がなくなったせいか、吐いた息は先ほどよりも熱いがした。
能登達に会いたいなと思って苦笑する。体が弱るとどうしても心も弱くなっていけない。乳母たちに会いたいと思うなんて、子供がえりもいいところだ。
早く寝てしまおうと目を閉じれば、薬の作用か睡魔はあっというまにやってきた。
目が覚めたのは長年の経験のせいだろう。
体調が悪い時ほどに、他人の気配に敏感になる。
気づける程度には元気なのだと冷静に頭の片隅で思って、現は耳を澄ます。
相手は足音を殺しているようで、ゆっくりこちらへ近づいてくる。
そういえば、部屋の入口に留守の札を出していなかった。
ならば、現がここにいるだろうと思って入ってきてもおかしくない。
だが、ならば呼びかけ位はあるはずだ。それがないということは――
そこまで考えて、渋々起き上がる。
寝る前よりはましになっているのか、予想より体はだるくない。
「どなたです?」
あえて行った普通の問いかけに、相手は弾かれたようにこちらへ足音高くやってくる。
「せんせい!」
ドアが開くと同時になされた呼びかけに、現は頭痛が増した気がした。
どうにも最近情緒不安定な弟子兼かつての養い子が青い顔をして立っていたからだ。
両手で洗面器を抱え、右腕に提げてある大きな袋からは薬草らしき緑の葉っぱが顔をのぞかせている。
畳に気づいたか、直前でブーツを脱いで恐る恐るといった様子で問いかける。
「大丈夫ですか?」
病人よりも病人らしい青白い顔で問われては苦笑するしかない。
「姫、大丈夫?」
部屋の入口からひょこりとコスモスまで顔をのぞかせる。
「ちょっと風邪をひいたみたいです」
笑って答えればほっとした様子で彼女も笑う。
「熱は? 咳とか、症状は」
多少落ち着いたのか、それでもどこかあたふた様子で問いかけてくるアポロニウスに対し、コスモスも苦笑する。
「熱計った?」
「いえ」
答えれば、手がのばされて額に当てられる。
「ちょっと熱いかな。無理してたんじゃないの?」
「先週まで続いてた会議、風邪ひきさんおおかったですから、もらっちゃいましたかね? それからアポロニウスさん、薬はもう飲んでますから、落ち着きなさい。わざわざ煎じなくても今は市販薬がよく効きますから」
「ああ、もう飲んでたんだ。じゃあ、寝てるところ起こしちゃったのかしら」
ごめんなさいと謝る彼女に気にしなくていいと笑えば、弟子は途方に暮れた顔をする。
いつまでもこんな顔をさせておくのも忍びない。よりにもよって彼女の前で。
「隣の部屋の戸棚に、水差しとコップがあるので」
「白湯持ってきます!」
最後まで聞かずに走り出す弟子を苦笑で見送る。
まったく。捜査員たる者いついかなる時も冷静にあらねばならないというのに。
「あわただしい子ですみません」
「あたしが謝るほうな気がするけど」
そう苦笑してコスモスは座り直し、アポロニウスが置いて行ったままの大きな袋から体温計を取り出して差し出す。
「でもよかった。槐さんたら『賢者様が倒れたらしい』なんていうんだもの。びっくりしちゃった」
「それはちょっと酷いですね。
風邪をひいたみたいだとは団長に伝えましたが、それだけですよ?」
「たぶんだけど、アポロニウスの反応を面白がりたかったんじゃないの?
血の気が引いた彼を見て、まずいって顔してたから」
「……あまり度を超すようですと、考えなければいけませんね。前科がありますし」
重く言った言葉にコスモスも同意を示す。
そもそも、アポロニウスがここまで情緒不安定になるに至ってのとどめを刺したのは彼の仕業と言えなくもない。
そう思っていると小さな電子音。取り出せば、自分で確認する前に手が伸びる。
「37度4分。今日は安静にしててね」
さあ寝た寝たと言われて現はおとなしく横になる。
そこへ足音が複数響いてきた。
複数、というあたりでなんとなく想像がついた。
「姫!」
「倒れたって大丈夫?!」
「静かに!」
あわてた様子でやってきた弟と従妹に対してコスモスが注意する。その声も十分大きい。
「先生、白湯持ってきました」
そこへ弟子が帰ってくればさらに賑やかになる。
今まで、看病をしてくれるのは年上の乳母たちだったけれど。
こういうのも、悪くはないですね。
お題提供元:[もの書きさんに80フレーズ] http://platinum.my-sv.net/
そんな一日。育て子たちに心配してもらうのはちょっとくすぐったい。