隠し部屋
なるべく足音をたてたくはない。
見つかったら小言を言われることもあるが、何より秘密の場所というものはやはり、知る人間が少ないからこそ良いものだ。
うんざりするほど多い政務を済ませて手に入れた束の間の休息。
……もっとも、こうやって訪ねることも仕事のうちではあるのだけれど。
事情を良く知る河青だけを供につれて、今日も俺はここを訪れる。
「茜」
信頼の置ける乳兄弟の名を呼べば、するりとふすまが開けられる。
部屋に一歩入れば、氷刃の如き視線が俺たちを――俺を射抜く。
挑発的な視線をくれる切れ長の瞳はあやめ色。背に流した髪は露草。
宮廷好みのする重ねを着た侍女は、この部屋の主直属の部下。
故に、自分の部下である河青とは顔を合わすたびに、嫌味の応酬をしていた。
流石に最近になって河青が自分からけんかを売らなくなってくれたから良かったものの、いがみ合われると苦労するのは俺達なんだから。
苦笑しそうになるのをこらえて、部屋の中央まで進み、座す。
目の前にはこの部屋の主――いや、ここに囚われることになった、ひと。
雪のような白い髪が若草重の衣に良く映える。俺を見る目は、部下と違って柔らかだ。
「お加減は、いかがですか?」
「今日は風が通って気持ちいいですよ」
楽しげな様子に少し安心し、倍以上に不安が募る。
白の姫に寄り添うように、姿の透けた姫の姿。
衣は同じ若草重。相貌は鏡に映したかのように見分けがつかず。
違うのは浮かべる表情と髪の色。
雲よりも雪よりも白い髪と深海よりも夜空よりも深い青の髪。
にこやかに話す白の姫。沈黙を持って訴える青の姫。
お決まりのつたない会話――ようは監視していることを突きつけるだけだ――をすませて、俺はすぐに退出する。
いつものように河青をさっさと進ませて、自分はことさらゆっくり歩く。
『鎮真』
呼び止める声は、すぐに来た。
陽炎のような青の姫が、泣き出さんばかりの表情で自分を見上げる。
『あの子を助けて』
それはできないと首を振る。
『あの子を止めないで、あそこから出して』
それも出来ないと首を振る。
「俺は『破軍』だから」
君たちの仲間じゃないと、言い訳がましく言う。
『分かってるわ、そんなこと』
訴える声は激しいのに、泡がはじけるようにささやか。
この世のものではない彼女の、精一杯の訴え。
とはいえ、かなえられるはずもない。
『頼るほうが間違ってることは、知っていたから』
それだけを言って宙に溶ける姿。
存在していたしるしなど、何一つ残らない。
やり切れずに吐いたため息は、思ったものより軽かった。
あの部屋から出せるはずもない。
どちらを助けるか。
その問いが出たときに――出る前から答えなど決まっていたのだから。
疎ましいわけではなく、憎しみからでもなく。
閉じ込めるのだ。
ただ――大切だから。
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憎いから閉じ込めているわけじゃない。
憎まれるのは仕方ないと知っている。けれど、面と向かっていわれると。