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どこかとおくで…

それしかいえない

「そなた、名はなんと言う?」
 不思議なことを聞くと思った。
 今まで、誰一人として『わたし』にそんなことを聞いてきたものはいなかった。
 そんなものはない。
 そう答えると、男は――見たことのない服装をした若者は怪訝そうな顔をする。
 名前というものは、それがそれであるという印だ。
 『わたし』は『わたし』。
 誰からどう呼ばれようとおなじこと。
 だからそんなものは必要ない。
 なのに、男は困ったような難しい顔をしてしばし黙り込んだ。
 男が沈黙すれば『わたし』も黙る。
 沈黙が、しばし過ぎた。

 ここは時折道が生じる。
 それは、すぐに途絶えてしまう道。
 どういう理屈か知らないが、それに巻き込まれてしまうものがたまに出る。
 目の前の男もその一人。
 ここはどこなのか。どうすれば戻れるのか。
 ほかの者と同じように質問を続け、ほかの者と違う質問を投げかけてきた。

 黙ったままの男をじっと観察する。
 頭の頂で結い上げた髪。腰に差した刀と、たしか『着物』とかいう服。
「イチはどうだ?」
 『わたし』はどうやら思考に沈んでいたらしい。
「名がないなら、『壱』はどうだ?」
 男の声で視線を上げると、良いことを思いついたといわんばかりの笑顔とぶつかる。
「はじまりの壱だ。そなたにぴったりだろう?」
 名前。
 『わたし』が『わたし』である理由。
 必要ないはずのものだ。
 だけど……

 うん。わるくない。

これは『はじまり』。これが『始まり』。
それは偶然。そして、それ以降は必然。

お題提供元:[もの書きさんに80フレーズ] http://platinum.my-sv.net/